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お宝発見です その2 [不動明王とルーツ探索と家宝]

 
 
三井寺歴史年表によると、昭和29年に東京日本橋高島屋で秘宝展が開かれ、
はじめて黄不動尊が山外に出る
と記されています。
 

 
で、憶測ですが、東京での展にだと、輸送や会場準備で少なくとも1ヶ月は掛かるし、
またこの小冊子が印刷されるまでにも、当時の状況から少なくとも1ヶ月としても、
2ヶ月前ぐらいに撮影しなければ、間に合わないと考えます。
 
そこで、これほど厳重に撮影禁止されてるものが、どうやってカメラに収まったかが問題です。
会場での撮影では時間的には遡って無理のようなので、事前に三井寺で撮影されたと考えるのが妥当かと思われます。
寺の了解済みで撮影されたものか、朝日のカメラマンが禁止を承知で盗撮したかです。
 
了解済みであるなら、少し軽い感じがします。
千年以上も非公開だったものが、そんなに簡単に公開されるものなのかと疑問だらけです。

もし盗撮であるなら、この関係者は即他界したと考えます。
不動明王信仰は日本人に最も愛されてる信仰で、良いか悪いかどちらかの判断で、いやらしい中
途半端な結果は出ないからと言われています。
 
”悪は裁かれる”があの怒りのお顔からも想像出来ます。
以上の事から寺の了解で撮影され冊子に公開されたと考えるのが正解かと・・・・

厳格な割には軽い判断のように感じます。
ただ一つ、全身画像でなく、部分画像である所が、躊躇や意味有りげに感じます。
幸い我が祖父の時代でなかったから良かったけれど・・・・・・
 

 
戦後昭和29年と言えば我が家は貧乏のどん底で、私は中学生で身内でそんな気楽な処にうつつを抜かす暇な方はいませんでした。
 
それなら何故我が家に有るかを考えた時、この小冊子の終わりに”天台寺門宗総本山園城寺長吏歴代”から宗祖、円珍を初代とする歴代長吏が現在まで記されています。
その155代に我が曽祖父である”顕定”が記されている事から、朝日新聞社から関係者に配布されたものではなかと想像したり・・・
 
また表紙に三井寺の朱印が捺印されてる事から、直に届けられたものではないかと想像したりする訳ですが定かではありません。
 
 
何れにせよ、これが今手元に出た事自体がお宝であるのかも知れません。
言い方を変えれば、お不動さんと同体で居たいと言う願望が、無理やりそうさせているようにも感じる訳で、
”また一歩近づいた”と、そう感じるのが至福の時かも知れませんね。
 
以上でこのお宝の詮索は終わりますが、暮れにもまた何かが起こるような気がしてなりません。
 
 
 
 
 
 
 

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驚異のお宝発見です!! [不動明王とルーツ探索と家宝]

 
 
今日もムシムシのお天気ですが、気張ってゴミ屋敷の整理をやってました。
 
 
 
 

”驚異のお宝発見です!!”

「三井寺秘宝解説」
朝日新聞社発行 昭和29、2、1 の僅か10ページほどの小冊子です。
なぜこんなものが我が家に有るのかが、不思議と言うか、ご縁と言うのか・・・・。
 
日本中に何千と祭られてる不動明王の元祖、この世に最初に描かれた黄不動尊の部分図がここに
記載されています。
 
門外不出と言われ、歴代長吏しかご尊顔を拝ましてもらえないと伝えられてる物が、どんな案配
でここに出ているのか不詳なれど、私も始めて拝ましてもらいました。
 
この秋に本物にお会い出来ると心躍ってましたが、念力と言うか実に不思議なご縁を感ぜずには
おれません。
 
天台宗宗祖、円珍が描いたと言われる秘宝の実物モノクロ写真画像です。
画像をブロ愚にUPする事を憚りますので、どうしても拝みたいと申される方は、ご連絡ください。
 
公にする事を宗教上、三井寺から硬く禁じられていますので、誓約を頂きましたらお見せ出来ますが写真
は厳禁です。

口伝えの噂の通り、実に滑稽と言えば叱られますが、原画と言う感じがします。
当家の家宝に加えておきます。
 

 
 

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執念2 [不動明王とルーツ探索と家宝]

 世間は十日恵比寿だと言うのに執念の探索だ。
 
午前中から見当つけて調べてあった寺に出かけた。
その寺はなかった???
Yahooの地図は間違いが多い。表記のズレが多々ある。
 
 
別のGoogleの地図表記では間違いなかった。
寺が密集している辺りで、探すのも大変。
ようやく見つけたが、表札も寺の名前を表すものは見当たらず、付近で聞き合わせる。
偶々連絡をしてくださる方と出会えて、詳細が判る。
 
すでに3年前に僧侶が無くなり廃寺になってる状態だった。
寺の風体はあるが既に崩れ落ちそうなたたずまい、施錠されていて無人である事は明白です。
ご子息は僧侶は継がず消え去る運命らしく、話を聞くすべはなくなっていた。
どうやらこの寺は浄土宗で総本山は知恩院なので、そちらで調べる事にした。
 
 
 
広い境内に立派な浄土宗執務と言う建物があり、其処に飛び込みでノコノコと出かけた。
 
事情を話すと、京都教務局が傍にあって、そちらから判る方がお見えになってお話出来た。
話によると僧侶になり手が少なく、私よりも高齢の僧侶が掛け持ちで3ヶ寺ほどを守りされてるそうであった。
檀家が有る間は、法事などを担当されてるようで、この世界も複雑の様相です。

話で近々に法事を行う予定が有るので、その折に寺の過去帳などの存在どうなってるかを確認して貰える事になった。
それ以上は判らなかった。
先にも書いたけれど、大正時代の京都市立病院は避病院だったかも知れないのでさらに調べてみることにする。
 
 
 
 
夕方、檀家寺に行って経過報告と先日より調査してもらってる結果を聞きに出かけたが、やはり其処にも、そこだけ探すものは無かった。
 
今日夜、 「避病院」 と言うのを調べていたら、非常に悲しい運命の命などを感じた。
法定伝染病の姥捨て山って感じで、病になったら死を待つのみの施設で治療などなく、
火葬場は併設されてる形態の病院だ。
 
調べてる仏さんも、この病院の住所で死亡と戸籍に書かれてる事から何らかのそれらの病だったのだと考えるととても無念だ。
警察に監視されてる病院、法定伝染病がまん延防止する為には仕方がなかったのだと思うが、無念の極みだったと思う。
 
探ってる内に、この手の話はあまり世間に知られたくなくて内輪に済ませたらしい。
「ばい菌の固まり」のように言われ遺体を連れて帰る事も許されず、まともな葬儀もしてもらえず、ほんま無念だったろうと・・・・・
 
話に聞いたのでは戦後でも、患者が出るとそれこそ家中、消毒隊が来て真っ白に消毒をしていったらしく、近所に肩身の狭い思いをさせられたような時代だったようだ。
 
当の仏さんが、どんな病だったのか今では知る由も無いけれど、私がこの仏を供養する事をきっと待っていたに違いないと考えるのだ。
 
病院で一応形だけの葬儀らしき物も行われたような簡単な山帳記述から推測出来るが、どんな事情が有るにせよ100年以上も戒名も無く供養を待っておられたと思うと、このまま放置する事は出来ない。
おそらく遺族全てが本人確認も出来ないような隔離状態で看取った人も無く、荼毘に付したと思う。
 
 
 
 
私の手術が終わったら、この寂しい仏さんを、ちゃんと供養しようと思う。
そして墓にも形だけでも納骨しようと思う。
きっと喜んで成仏してもらえると思うよ!
 
これにて私の知らない我が家の戦前戦中の、謎多い歴史が明らかになるのでは。
 
ほんま遣り残しの仕事が色々とあるよなぁ~~
 

資料による
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京都市立病院の沿革は、明治15年に設置された上京公立避病院であり、130年の
歴史があります。大正時代には東洋一の伝染病院といわれ、隆盛を極めました。
その後、京都市立中央市民病院と京都市立京都病院が統合し、昭和40年に現在の姿に
なりました。
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執念 [不動明王とルーツ探索と家宝]

ボロ爺の魂 岩をも通す!! ジャ~~ン!!
 
9日、執念で大量の除籍簿を睨み続けてると!
見慣れない住所を発見。 死亡場所の表記だ。
 
親族の住所に関する表記は誰でもおおよそ判ってると思う。
しかし全く心当たりの無い場所の表記だ。
 
 
100年以上前の除籍謄本の住所なんて、区画整理や表記整理で変わってるのが普通なのだが、ダメ元でNET検索してみると、なんとヒットした。
 
寺か病院ではないかと予測はいていたが、ピッタリだ。
その住所は地図から判断すると京都市立病院の住所だった。
 
この病院は、記憶で知る限りでは戦後は伝染病隔離病院だったはず。
今は立派な大病院だが、若い頃、この付近を通る時、感染するんじゃないかと、無意識に警戒したものだ。
 
これが大変貴重なヒントになった。
この先祖は結婚後、産後の日立ちが悪かったか、お産後、1年ほどで亡くなっている。
そう思い込んでいたのが間違いで、何かの伝染病を病んでいたて事になる。
100年以上前の医療なんて薬も無く、結核でもほとんど死亡するレベルだ。
 
この先祖の葬儀の山帳資料に、記憶にない見知らぬ寺の名前が有る?
これが次の手掛かりとなり、さらにこの寺をNETで検索すると、たぶん探し求めていた地域付近の寺である事が判明。
 
今日10日、この寺を訪問してみようと思ってる。
きっと今まで判らなかった寺であると考えるとワクワクしてくる。
ここの過去帳にどんな事が書かれてるかが全てを解決してくれそうだ。
 
 
 
 
 
 
 
 

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大津市役所にルーツ探し [不動明王とルーツ探索と家宝]

 
昨年の暮れから、ある資料から滋賀県の貴生川近くにある 飯道寺 という処にルーツの何かが有りそうだという情報を頼りに、寺に紹介をお願いしていた事柄の調査返事が昨日ようやく来た。
 
しかし、残念ながら手がかりになるような資料は見つからなかった。
ご住職関係各位の好意に感謝して、ここは諦めた。
 
 

午後から大津市役所にルーツ探しに出かける
前日から除籍簿を隅々まで見ていて、気づいた事があって、早速午後から大津市役所にルーツ探しに出かける。
何しろ100年以上前の戸籍だから、どうなっていても不思議でない。何か発見出来れば儲けもので動かないとルーツ探しなんて出来ない。

大津市役所戸籍課で、ルーツ探しを事前に電話しておいたので気軽に応じてもらえた。感謝。
私一人の為に30分以上の時間を2人で探してもらったけれど、残念ながらターゲットには辿りつかなかった。
何時もの事ながら、お蔵の金庫に保管されていて、これ以上は公開はしてもらえないという壁にぶつかるのは、何時もの通りだ。
 
結局 旧住所から、現在の新住所を探してもらってそこを探索に出かける事にした。
 
滋賀県庁の近く、法務局の近くを探してみた。
大津市内も様変わりで昔の町並みも少なくなっていて、開発の進んでる所はもうお手上げ状態だ。
幸い100年以上其処に住んで商いをされておられるという方にお会い出来て、尋ねてみたけれど、その番地は存在しないとの事だったが、戸籍簿にある番地に初めてお目にかかったって状態でした。

結局は役所の金庫の中の資料を見る以外に方法がない事を確認しただけでした。

琵琶湖の湖面は寒風が吹き荒れてました。

 
 
 
 
 
 
 

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執念3! [不動明王とルーツ探索と家宝]

9月7日、問題の墓石の縁者探しで、またまた暗礁に・・・・
 
寺の住職に朝から詳細を聞き出しました!
早速縁者が居られる京都の住所(中京区)突き止め出向いてみました。
直ぐに見つかりましたが、空き家状態です。
ごく最近まで居られた気配が玄関から察知できますが・・・・
近所で聞き合わせると、一人暮らしで最近体調を壊されて大津の親戚の処に行かれたらしいとの事。

 
また壁に当たりました。
先日から大津に2軒有ると聞いていたお宅は既に探索済みで縁者ではなかった。
今回の場所が判らないので探しようがありません・・・・・・
謄本を閲覧するにも血縁縁者で有る事の証明が出来ないので見せてはもらえないし。
住民票なら請求できるから、そこから手掛かりが無いか・・・・・
もしくは交番で聞いてみるかと・・・
 
 
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新たな手掛かりとしてターゲットを変えてみると、本人の妻の住所(下京区)が、何故かこの墓石
の縁者と四条通りを挟んだ300mぐらいしか離れていない事に何か関わりを見つけ、早速その住
所も確認に出かけました。
何しろ120年も前の慶応元年の住所って存在するのかも疑問だし、仮に有ったとしても住人は変わっている可能性の方が大です。

除籍簿に書かれた実家の苗字のお宅は見つかりましたが、少し目的町名から外れていて、何処にで
も有る苗字ですから確立5%以下ぐらいかも・・・・
もしそうであったら、正しく私の曾祖母の実家って事になるのですが・・・

前の墓石の縁者と後の除籍簿の実家との関わりは有るのだろうかと、ミステリーです。

ウロウロ探して歩いたので汗びっしょりになったので、後日改めて訪問する事にして7日の探索は
終了する事に。
 
 
 
 
 
 
 

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執念2! [不動明王とルーツ探索と家宝]

9月6日、ドンヨリの蒸し暑い雲行き。
更なる探索に出かける。
 
 
大津法務局に再度出かけ、「公図」とか言う地図を貰ってきた。
これにて場所の特定は完成した。
 
旧土地台帳の表記に付いて聞いて見た。
「畑」は反畝歩で書かれてるから面白い!
 
法務局って国営役所なのだからか知らないけれど、とても綺麗な役所です。
駐車も只で広々、1等地なのに何とも贅沢な配置だ!
1階ロビー横のラウンジでコーヒーが¥150、安いね!
みんな税金で運営されてると思うと腹が立ってくるが。
 
 
 
 
 
さて次はドライブで琵琶湖大橋を渡ってまたまた探索です。
某村の集落センターとか言う処に出向き電話で頼んでいた資料が無いか尋ねに行ったが、残念ながら手掛かりは無かった。
 
 
 
 
集落のもう一つの寺の探索をした。
前回とは別の天台宗系の寺で、裏の墓所は古惚けた墓石と坊主の墓石が多い。
ううう~~ん! 何か臭い!!
 
 
住職が不在で、おばぁ~さんが対応してくれた。
この集落は苗字が殆ど同じで、名前からしか判別出来ない。
当然、私も同じ苗字です!だからこの集落を探索してる訳です。
この苗字はここにしか無いとの情報からです。
 
更に難解なのは、代々屋号で名前を受け継いでいるから更に難しい。
「左衛門」の子供はまた家督相続で「左衛門」で、どこまでも同じなのだ!
前回探し当てた旧家は探してるターゲットと苗字名前まで同じなのにお会いすると別人なのですねぇ~

 
 
 
色々と話す中で1軒とても古い御家があるからと連れてもらった。
デカイ梁が組み合った旧家って感じでやはり庄屋さんだったらしい。
 
80歳ぐらいのおじいさんに色々と尋ねたけれど、手掛かり糸口が見つからない。
その内どっかに行ったおばぁ~ちゃんが何やら寺に戻ってきて、乳母車に過去帳を積んで持ってきてくれた。
立派な帳で、住職がお出でになったら持ち出し禁止で怒られる処です。
余に多い過去の人々の俗名に如何に多い人間が住んでいたかを知らされる羽目に。

残念ながらこの場所(集落)で亡くなった方を探してる訳ではないので手掛かりにはならなかった。

 
 
しかしじゃ~~!!
ばぁ~~ちゃんが、もぞもぞと何やら思い出してくれた。
 
そうや!!
京都に行った人の事や、「阿闍梨」さんに縁の有る処に嫁いだ話を聞いた事が有ると、思い出してくれた。
「それや~~」って当たりの糸口を見つけました。
 
 
ばぁ~ちゃんと、その縁者の方のお墓を見にゆき、お名前を確認。
後日、住職にその檀家さんの了解を得てから紹介してもらう事にして今日の探索は終了しました。
 
 帰りに某市役所の市民課に出向き、名前だけで除籍簿が出ないか聞いたが断られた
次回に敵討ちする事に。
 

この墓石が・・・・
昭和八年と・・・・私より古い!
執念ですね!
さてこの先どうなることやら??
またのお楽しみ!

ほんまにこの集落が出生地なのかな???
 
 
 
 
 

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執念! [不動明王とルーツ探索と家宝]

灼熱の月末、気が急いてじっとしていられなく出掛けました。

大津資料館の絵地図から場所を特定して現在の場所を調べに先日出かけました。
多分この辺りだと電柱の住所を確認して、本日は大津地方法務局に出掛けました。
 
「ルーツ探し」と説明して、旧土地台帳の閲覧をお願いし、大よその場所を言って、取り合えず出
してもらった分厚い台帳で、ドンピシャ一発で出てきました。
 
 
思わず「あった!!」って言ってしまいました。
職員さんがニコって笑いましたよ!!

 
またヒントを下さった園城寺執事長さまと大津歴史資料館の職員さまに感謝です。
 

原本のコピーを貰いました! 無料です! なんというサービス!!!
 
 
ここまでくれば私の執念ですね! 念力と言うか気力と言うか・・・・ 
自分の力では無い何かの力が働いているとしか考えられない。
この夏の安曇川広瀬の生き仏様遭遇事件から、多分ご先祖様が探してくれと私の前に現れたのだと
しか思い当たりません。
 

「地目の畑」は現在の大津日赤 東京麹町日本赤十字社に所有権移転されています。
 
 
 
 

また「東實坊」有った場所は顕定から園城寺に移り、後に日本赤十字社から更に移転登記が有って
現在は細かく分筆されていまました。
 

赤枠辺りです。

移転登記の年代から「排仏棄釈」で解体されて行く状態が見えるようです。
 
 
やっとその証拠となる実像の一片が垣間見えてきました。
凄いご先祖であった事はこれで確認出来ました。
 

 
何か突然偉くなった気分で、ほっこりしました。
しかし現実は食うのに精一杯の人生ですが、
金は無くとも誇りに思うご先祖様に一族感謝です。
 
やっぱ我が生き様に間違いは無かった!
「我が人生に悔い無し」ですね!
もっと早くにこの事実を知らされていたら、私の考えも違っていたと思いますが、知らず知らずにここに導かれていたように思われます。
 
 
今後は更にこれからは出生に関する事項が判らないか探索を続けますが、江戸も天保時代ともなる
と屋号での時代、資料は皆無でおおよその見当から菩提寺を探がし、過去帳の記述か古文書ぐらい
しか無いのでは・・・
 
 
今は過去帳と位牌、墓所が園城寺に祀られています。
普通なら菩提寺で見当が附きますが、出家されてるので困難を極めます。
可能性はゼロに近い・・・・・
 
また次なる放浪に出掛ける事になりそうな・・・・・・・・・・
 
 
 
 
 

 

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旧土地台帳 [不動明王とルーツ探索と家宝]

ルーツの旅してますが、「旧土地台帳」ってのが有る事を知りました。
明治以降の税徴収の為に台帳を作ったらしいですね!
法務局で閲覧無料!
後日出かけてみます。
なんか役に立つかもと思ってます。
 

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大津歴史博物館 [不動明王とルーツ探索と家宝]

24日大津歴史博物館に出掛けてみた。
 
探していた「東實坊」の場所が大津の古地図から見つかりました。
廃仏毀釈などで今は無くなっていますが、場所は確定できました。
小関町に有ってやはり三井寺の直ぐ側でした。
後日現地に行って住所を探してみます。
判れば古い登記から人物像が見えてくるかも??

 

 
学芸員のような方から、仏像について鑑定してもらってきた。
判らなかった仏さまは不空羂索観音ではなく 「弁財天坐像」 だそうです。
琵琶湖竹生島にある弁財天坐像と同じだそうでした。
智満寺 弁財天坐像 とも彩色もほぼ同じような仏様です。
 
 
掛け軸は、「不動明王二童子像」でした。

 
 
先日の墓参で見つけた桶の名前の方の住所を寺で聞き、お宅にお伺いしてきました。
大津市内の石場って所で87歳のおばぁさんでしたが、お話をお聞きしましたが残念ながら縁者ではありませんでした。

またさすらいのルーツ探しに出掛けます。
 
 
 
 

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