SSブログ
不動明王とルーツ探索と家宝 ブログトップ
- | 次の10件

墓参 [不動明王とルーツ探索と家宝]

21日、お盆も過ぎたので少しは落ち着いたかもと、残暑厳しいが朝夕が僅かに秋の気配。
  熱中症が怖く猛暑を避け、気になっていた墓参に出掛けました。
 
 

その昔、母の運転手で来た事の有る墓地です。
何十年ぶりに尋ねた西国第十四番札所三井寺観音の奥にある僧侶の墓地です。
その頃は何とも思わなかったのですが、今頃になってから意味が判ってきたとはお粗末ですね。
 
 
駐車場所から山手を見上げてます。
新しい墓地が整地されて一般の方の墓地が整然と並んでいて観音様まで安置されてます。
墓地として整地され見違えました。
 
 
側に水場小屋が有り、其処の桶に同姓の名前を発見しました!!
何方か縁者がお参りしておられるのだと、わくわくしましたが、それ以上は不明です。
 

 

此処までが一般の墓地です。ここから奥が僧侶の墓地で、坊主墓って言うらしいです。
 
 

延々と!

僧侶の墓地が延々と続くと昼間だと言うのにこの辺り霊気を感じる。
一人で歩くとデカイ私でも非常に怖い。
 

まだ続く!
 

やっと最上段です
 

 

最上段まで上り詰めると、槇の木に囲まれた、ここが曾祖父の墓です。
100余年、苔生して時の流れを感じます。
私が何時も感じてる不思議な霊気やパワーは此処から発していたようです。
丁寧にお参りして感謝の気持ちを伝え、一族の平和と繁栄をお祈りお願いしてきました。
 
 
 
 
今まで何方が墓守をしてくださったのか、綺麗に清掃されていて感謝です。
我ら直系の縁者は誰も墓参せず、寺でお守り戴いていたものと思われます。
 
「生き葬式」と言われる「堂入り」、今生とは決別して荒修行に入られる時に既に俗世と縁切り
されてるようで寺の人間なのかも?真は定かでない。
縁切りされた家族側は堪ったものではないけれど・・・・・
迷える民に布教の為だけに生きる僧、俗世とは別世界の不動明王だったようです。
 
当時、阿闍梨さまは亡くなって寺葬が済んでから、やっと家族に連絡が入ったようです。
死亡してまた元の名前に戻どってから、祖父が役所に届けをするなんてとても面白いと感じました。

帰りがけに事務所に寄ってメールで依頼していた事柄を再度プッシュして帰路に就きました。
まだ執事長は忙しいらしく、おとなしく待つ事にしました。
 

折しも21日京都新聞の記事です。偶然か??
 

GoogleEarthからの画像

nice!(0)  コメント(0) 

仏壇 [不動明王とルーツ探索と家宝]

ミニ仏壇が届きました。
まだ塗料の匂いがしますが、桐の18号です。
 

取り合えず、お祀りしてみました。
床の間にちょうどピッタリで落ち着いた雰囲気、満足です!
 
右から地蔵菩薩、千手観音菩薩、聖観音菩薩、不空羂索観音菩薩、高僧大和尚の位牌 です。
配置順も不明なれどバランスを考えての私事です。
 
不動明王掛軸の額縁が変則寸法なので受注生産で1週間以上かかるようで、まだ届いていません。
 
 
 
 
 
全部揃えば、一度供養にお寺さまをと考えてますが、天台寺門派の寺が京都には実相院しか無く、
総本山でお願いするのか、また天台山門派(延暦寺)の寺でも良いのか、またこれからのお祀りの
しかたや、日々の経典は何を唱えるのかも定かで無い為、総本山に出向いてお聞きするしか判りま
せん。
多分祖父もこの宗派とのお付き合いが遠路大変で、すでにお付き合い有る近くのお寺でしたのだと考えます。

 
 
 
 
先日、天台寺門派総本山園城寺の執事長さま宛、、阿闍梨「顕定」の詳細な資料などの閲覧依頼や、
ご面会の依頼をメールしておきましたが、お盆の行事などで当分多忙、秋になってからのアポになりそうです。
 
 
 
安置を済ませ、お線香を上げましたらやっと安堵しました。
ヤレヤレ 


 

nice!(0)  コメント(0) 

終戦記念日 [不動明王とルーツ探索と家宝]

8月15日終戦記念日、昭和20年のあの日はほんまに暑い日でした。
お盆も本番! 今年の夏は天地とも異常です。
 
 
先日からの家宝の仏像や観音様を安置するのに、昨日ミニ仏壇を注文しました!
また掛け軸は劣化が酷いので額縁に入れて保存する事にしました。
一家に仏壇が2つはどうなのか思案しましたが、遺品とは言え仏像なので粗末には扱えないので、
また宗派も違う事もあったので別にしました。

比叡山千日回峰行の最後「堂入り」は、不動明王と一体になるための修行で、最後の9日間、堂に
こもり一切の飲食を絶ち、不眠不休で10万回もの不動真言を唱え続ける。
激しく衰弱し、生きて堂を出られるか分からないため「 生き葬式」と称される天台宗最大の難行。
堂入りする行者は戦後12人目。満行すれば「当行満阿闍梨」と称され、生身の不動明王とされる。

 
高僧だったって事は誰からか少しは聞いてた事柄ですが、まさかの驚き。
私のご先祖さまは俗世を離れ、戸籍上の修行僧名から、明治28年に阿闍梨位を受け以後、
 
名を顕定」とし「東實坊大僧都」と成られ、正に「生身の不動明王」だったのです。
 
 
 
 

          園城寺歴史資料から抜粋
155代園城寺長吏(三井寺)に就任、聖護院門跡の管長も就任されました。
 
 
これらの事柄は、私の驚きは言うまでもありませんね。
遺品掛け軸の不動明王はこの千日回峰行の折、煤けからも肌身外さず身辺に携え、ずっと守護神で
あったもので、どえらい家宝でした。
 
今、私が受け継いだ不動明王は、私の過去の全ての邪気退治して下さっていたのだと、これ以上の
お守りは無いものと考えます。
生涯、床の間にお祀りする事にしました。
 
 
 
 
 
考えて見れば私の一生の節目節目で良き方向にお導きが有ったのが、このご先祖様のご加護だった
のだと確信しました。
 
祖父から父へ受け継がれるべき物が戦中戦後の混乱の中で祖父の死などで途切れていたとは言え
100余年も仏壇の中や、疎開列車の私のリュックの中とかで眠っておいでになったものだと奇蹟を感じます。
まさか私が幼少の頃、67年前の疎開で持たされてた仏様だとは何とも数奇な運命です。
身辺整理始めてかれこれ10余年、時はお盆の真っ最中、ご先祖様もさぞお喜びだと思ってます。
これこそ最高の供養だと思ってます。
 
 
 
しかし今の私は今更坊主に入門する気も有りませんが、ご先祖さまの意志をお守りし、
子孫に繋ぐことだけはやり遂げたいと思ってます。
ただ、今後宗旨を変更するのかどうか、全く考えが出来てません。
 
 
 
 
 
何ともドラマチックな話ですね、夢でも見てるかと何度も疑いますが、
何度もあちこち確かめに出掛けましたが、やはりこれが現実だったようです。
何方も俄かに信じがたい話だとお思いでしょうが・・・
私も未だ信じがたい。
 
 
 
今後の生き方をどうすれば良いものやら・・・・困った・・・・・
かなり動揺してますから、戯けも気楽に言ってられないのが辛いです。
 
 
 

nice!(0)  コメント(0) 

家宝3 [不動明王とルーツ探索と家宝]

六観音は六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)
の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので、
 
地獄道-聖観音、
餓鬼道-千手観音、
畜生道-馬頭観音、
修羅道-十一面観音、
人道-准胝観音、
天道-如意輪観音
 
という組み合わせになっている。
 
さて家宝の内、 聖観音、千手観音、如意輪観音、が確認出来た。
 

 
これは、千手観音立像 である。
 
 
 
 

nice!(0)  コメント(0) 

家宝2 [不動明王とルーツ探索と家宝]

今日は日差しもましなので、スーパーカーに乗って御所スイスイ走行してきました。
快適ですね、アシストはほんまに楽です。
砂利道も止まらずに走行出来、木立の中を快適に走ってみました。
汗だくに為らずに汗ばむ程度で済み、チャリが好きになりました。
 
 
 
 

 
さて何方かこの仏像にお心辺りが有りませんか?
遺品で、手が8本有るので 如意輪観世音菩薩 ではないかと思ってます。
木造で仏師作品ではないような、素人が少しずつ削り出したような作品で、彩色も極彩色で綺麗ですが埃と傷みが有ります。
台座の一部が素人修復されてるようで厨子も相当古いものです。
 
 
 
追記 8/15
不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん/ふくうけんじゃくかんのん)
手の数からすると、こちらが正解のようです。
 
 
 
 

nice!(0)  コメント(4) 

家宝?? [不動明王とルーツ探索と家宝]

ほんの少し秋の気配。

早いものですね、今日僧侶のお盆のお参りしてもらいました。
今年は色々有りまして、特別のお盆のように感じます・・・。
 
 
 

 
これに先立ち仏壇の整理などで、高僧曽祖父の遺品整理の中に不動明王の掛け軸が有りました。
風化してボロボロ状態ですが成田山の朱印が確認できます。
そーっとスキャナーで取り込みました。
1800年代、少なくとも150年以上前の作品のようです。
 
 
 
その他、江戸時代の作品らしき仏像4体、経本など諸々を確認、秋になったら国立博物館で鑑定してもらいに行きたいと考えてます。
 
もしかして我が家の家宝かも・・・・?
 
 
 
 

 

nice!(0)  コメント(0) 

岩倉実相院 [不動明王とルーツ探索と家宝]

ルーツ探しで、今日21日は岩倉の実相院に行ってみました。
雨の合間に出かけたのですが、やっぱ土日の観光コースという事もあって人は多かったです。
 
総本山三井寺の天台宗寺門派では先日の聖護院門跡を含めても、数少ない門跡寺院で手がかり探しも絞られてます。
僧侶の奥様らしい方が受付に居られたけれども次々と団体の来客のお相手で急がしそうで話も出来ずに要件のみ話して後日面会する事にして帰ってきました。
資料も1万点以上あるそうで、そうは簡単な作業ではないらしいです。
しかし何か出てきそうな予感がしました。
 
 
 
梅雨明けまではまだ時間が掛かりそうで、とても蒸し暑い日でした。
 
もう1件、手がかりが有りそうな寺院が 法明院 〔三井寺北院〕です。
暑いので秋になってから出かけようと思い、一旦休憩とします。
 
 
 
 
 
 

写真は仏壇の奥の方から出てきたお経の本で、直筆の名前が入ったものです。
経本の名前からして、「天台宗寺門派勤行要集上」 と有るので修行僧の頃のものと思われます。
ボロボロになるまで使い込まれてます。
この経本の写真を持ってお伺いすると、即対応してもらえる処からも間違いなく修行僧の頃の物であったようだ。
 
         南無阿弥陀仏

nice!(0)  コメント(0) 

先祖との絆 [不動明王とルーツ探索と家宝]

今振り返って見ると・・・・・
2005.10 喉頭がん発症、癌切除手術後、今は再発もなく5年以上経過してます。
 
 
 
誰もが心配する癌転移などに怯える中、心のリハビリを兼ねてブラブラしてた折、折しも比叡
山根本中堂で開祖以来初の1200年ぶりのご開帳が有る事を知りました。
 
「開宗1200年を迎える天台宗の総本山・比叡山延暦寺が 2006年1月1日から27日ま
で、国宝・根本中堂にある厨子(ずし)をすべて開帳し 宗祖・最澄の手によると伝えられる秘
仏の本尊・薬師如来や、毘沙門天(びしゃもんてん) 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)などの像を
公開する」
を知った。
 
比叡山延暦寺根本 中堂に奉安されている1200年灯し続けられてきた
「不滅の法灯(ふめつのほうとう)」
が参拝出来る事に興味深々で、困った時の神頼み、参拝に出かける事にした。
 
 
1200年ぶり!! なんとラッキーこれ以上の巡り合せはないでしょう!
 
 

 
意識として私の天台宗との関わりはこの時が最初でした。(写真)66歳のボロ爺
お堂の中、1200年の冷たい空気が一段と凛とさせられた事を覚えてる。
この時初めて修行中のご先祖さまとご対面したのかも知れない。
凄い経験だ!
 
 
私の父は全くの無信仰者、多分、戦争のドサクサで火災類焼防止で天井板は全てめくり、防空
壕を掘ったり、仏壇は売り払い我が家はボロボロ状態で終戦を迎えました。
全てが戦中戦後混乱の中、何処をどう間違ったか、気が付けば浄土真宗に宗旨が変わっていた
ようです。
 
 
そんな事とは露知らず、我が家には何故か天台宗の位牌と教本、描け軸の阿弥陀如来本尊と高僧の肖像画
(白黒写真のような)が残っていた。
これらが病弱だった母が戦中疎開時に幼少の私に持たせた荷物だったのです。
 
 
 
これらの出来事は運命の悪戯か、今は見えない太い絆を感ぜずにはおれない。
この時々に、私はご先祖さまに呼ばれたのだと、今は思う。

以後は身辺整理と称してそれとも知らずに西国三十三カ所霊場巡り参拝の中、色々の出会いが
有った。
第十四番札所 三井寺、これもそのご縁が有ったのかも知れない。
 
 
 
 
 
昭和30年代だったか、母に頼まれ三井寺(天台寺門宗総本山 園城寺)に連れて行った事があ
った。
多分この時、母も何かを感じていたのかも知れない。
その時お会いした園城寺長吏 福家俊明さまのメモが今回、唯一の手掛かりになったのです。
 
 
2度の癌にも負けずに回復全快は、何かを私にさせようとする力を感じるのは、
いや、遣り残した身辺整理を子孫に伝える仕事が、それなのかもしれない。
絆と言うかご縁と言うか、正しく守り神を感じるのは当然かも・・・・・
 
 
 
口伝えで漠然としていた高僧の話は凄い処に繋がっていて、我は以後どうすれば良いのかと思
案するばかり。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

nice!(0)  コメント(0) 

強者どもの夢のあと [不動明王とルーツ探索と家宝]


 
本日梅雨の合間、快晴の暑い中、某門跡を訪問して門主さまにご面会してきました。
 
貴重な資料を拝借して我がルーツ探しの1ページがまた開けてきました。
 
遥か彼方の幻の世界を垣間見ました。
 偉大過ぎる快いプレッシャーに凛とす。
 
 感謝。
 
 
 
 追伸
この資料は歴代あじゃり【阿闍梨】さまの名簿のようなものです。
詳細は今後さらに調べてとなりますが、取り合えずこの名簿の中に我が祖先が居られる事を確認してきた訳です。
荒行で知られてる通りの『千日回峰行』満願された証のようなものです。
某総門長吏、門主を歴任された記録などを知るに付け、余にも己は小さすぎると。

さてなぜこんな事を調べ始めたかと申しますと、己の一生を終えるにあたり身辺整理から始めた事で、子供の頃から曾祖父が高僧である事は口伝えで知っていたけれど、自分の手で確認する事に意義を感じたからです。
 
戦時中の混乱期に全ての資料も無くし、幼少の私は詳細を知るすべもなく、ただ言葉で言い繋がれた事だけでしたが、可能な限りの除籍簿などとも付き合わせ、漸く10年ほど掛かってたどり着き確信に至った訳です。

ことここに至って、どうのこうのは有りませんが、これからどうするかを考えます。
己の死に様の問題です。
 
 7/14
 更に調べると、真言宗ではなく、天台宗の寺門派の長吏であった事。
その修行が千日回峰行であったかは、これから総本山にて出向いて確認する事に。
 
なお現在、生きておられる大阿闍梨さまは 酒井雄哉師 のみである。
 
 
 

 

nice!(0)  コメント(0) 

孤独 [不動明王とルーツ探索と家宝]

最近、孤独に付いて考える事が多い。
 
孤独死なんて言葉が日常茶飯の時代なんですね。
身内が周りに居る間は余り考えませんが、まかり間違えればその危険性は大です。
二人の子供も大人になってますから心配は無いと・・・・
でも核家族がその危険が一杯です。
孤独死にならないようにと気遣うより、孤独になっても大丈夫な心を持つことが晩年の生き方ではないかと最近考えます。

 
 
 
 
 
定年になって、意気込んで「第二の人生を謳歌」なんて、夢の話を信じてた哀れな方が現実に直面してその無力さを痛感されるでしょうね。
 
弱いものどうしは屯(たむろ)したがる習性とでもいうのでしょうか?
いわしのようなもので、心の隙間をいわしで埋め尽くす事で紛らわせてるように思えます。
一人では釣も出来ない、孤独が怖い、老後の金が心配・・・・なんて馬鹿げてると。
 
 
 
 
若い頃は孤独が嫌で、屯ばかりして日々をこれで良しとばかりに謳歌してましたが、「果てる時は一人ぞな」と考えるとそうとばかり言えない。
還暦を越えた頃から考えが変わってきたような。
 
古希も過ぎた最近は、一人で行動出来ない他力本願のような生き方を卒業して、遭えて孤独を経験する事で心の豊かさが出来、心静かにその日を迎える事が出来るのではないかと実践してます。
 
 
今更進路を迷う訳ではなく、死後の果てしなき旅に出かける心の準備とでも言うか、ばぁ~さんがしゃにむに「信じる事は救われる」と修行するでもなく・・・・
 
座禅を体験した中であの不思議な世界に入り込める心境になる事が大切なような・・・・?
「無念無想の世界」とでも言うか、己一人でも動じない心を鍛える事が。
   (私は禅宗でも臨済宗信仰でもありません)
 
最近は歳相応の己にならないと、己に恥ずかしいと・・・・  己が見え過ぎる。
 
 
 

日々、我がルーツの旅を実践している。
物凄く楽しい。が、反面壮大な刹那を感じる。
  血脈が繋がってる事の意味は・・・・?

今日も鰯にならない様に孤独を楽しもう!
 
 
 
 
 
 
 

 

nice!(0)  コメント(2) 
- | 次の10件 不動明王とルーツ探索と家宝 ブログトップ