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近況その2 姉の入所 [終活 身辺整理]

 1月に姉87歳が有料介護老人施設に入所しました。
人生最後の居場所なんで、ほんま実感が現実の物として身に沁みます。
人はいずれ死すのですからその死に様を想像してましたが、その実像を前にしてやっと来たか!って。
帰り際、少し寂しそうにしてた姉の表情が気になります。
でも、元気なのが何より、ボケはそれなりに進んでますよって、適当に話し相手をしてきます。
施設は ばぁさんばっかで異常に感じましたがこれが現実なんだって言い聞かせました。
其の内、私の番なのですが、なんせ先立つもんがおまへんので、これからひと稼ぎしてからの予定ですが、命と賭けっこしますから、それまで閻魔さんにもう少しまってもらいます。 はい!

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近況報告です [終活 身辺整理]

今年も色々と有り過ぎて、ブログ更新が面倒になってましたが、記録として残す事にしました。
今年ほど、ややこしい日替わりビッグニュースが連続するのも珍しいですね。
コロナや、戦争やら、地震やら大雪やら、まだ3月やと言うのに荒れる年になりそうな予感です。3次世界大戦が勃発するとか、戦前生まれの私としては防空壕を思い出すのでもうやらんでほしいです。
起こったらもう人間は居なくなりますよね。

先日目出度く満82歳を迎え、自分で褒めて酒飲み過ぎました。
人並みに体力はボロボロになってきて、引きずり歩きが似合うなんて褒められるので、こらあかん、寝たきりになったらオムツ生活が来るのが恐怖なので、筋トレでごまかそうとストレッチルームを作りました。
ただ、物をどけただけのですが、どけるのも筋トレやとガムシャラにやったら、ほんま筋肉マンでガチガチで2日寝込みました。馬鹿です。浸ける薬が最近医者もくれません。
薬も効かんとおっしゃるのですが、ボケ痴呆の前触れか、ほんまです。

2月末に義理の兄がコロナで他界しました。85歳でした。
陽性判定で2日後でした。病院クラスターであっという間でした。
特別衣装で密閉して、即火葬でお骨になりました。
翌日葬儀になりましたが何とも言いようのない末期でした。

余りにも激しい環境の変化で気分も鬱になりそう、こらアカンと気分転換に動き出しました。

3/16水、今年のモロコ釣り始まりです。
24447.jpg
久しぶりの快晴と暖かな空気を満喫しました。生き返ったような気分でした。
ホンモロコ32匹、序盤としては上出来でした。

毎日何か気になってる事をする事にしました。ゴロゴロしてると即寝たきりになりそうで恐ろしいです。緊張感をもって筋トレになる事を考慮してです。

16日の釣は、ストレッチ100回ほどやった感じで、太ももからふくらはぎがガチガチになりまた2日寝込む結果に、ほんまバカです。

以上近況です。

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暇に飽かして愚作です!が・・・ [終活 身辺整理]

20日、京都東北部クリーンセンターに
持ち込みゴミに行って来た!

雨とコロナで出歩けない毎日が暇なので、
家の中の整理やらDIYやらばっかの日常です。

もう2週間以上釣りにも出掛けてないし、
何か体力のはけ口を探してウロウロ。

身辺整理の一環で大型ごみの整理ですが、
10年以上乗ったアルミの高級チャリを寿命と判断して処分する事に。

処で最近のリサイクル資源の状況が一変してる事を知りました。
春頃までは廃品回収の車が頻繁に回っていて、
金属類は喜んで回収してくれてました。

処がです!昨今は逆に金くれ!でっせ・・・・
何でも1個処分費用が千円だと仰ります。
訳は回収業者の大元がコロナの影響で
みんなが出すもんやから処理仕切れずに閉鎖中との事!!

鍋 窯、電化製品の古を纏めておいたのを出して
喜んでもらおうと思ってましたが、
真逆でっせ!

ヤ~~メタ!
自前でクリーンセンターに持ち込みとしました。
100㎏まで1000円で受付てくれます。

チャリやらフトンやらなんやかや、
自家用車に詰めるだけ詰め込んで出掛けました。

到着したらでっせ!
何と、自家用車の車列が!!!!
クリーンセンター.jpg

何処も同じ事考えてるんやなぁ~って感心しましたでぇ~
何処も暇でゴミ掃除ばっかやってるな!って・・・・


愚作 2点
激暑の中、
名も無き蝶が舞ってました! 
メダカの赤ちゃんがワンサカワンサカです・・・・
どないしょ?
2020・メダカの赤ちゃん

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考え事 ! [終活 身辺整理]



Yahooブログ廃止は良いケジメをくれたのかもと悟って・・・・

取り合えず移転先をと右往左往してる皆さんを見てると、良い機会だと思って私めは、止めようかと考えるに至ってます。

数え歳で80歳も到達、まぁ平均寿命まではどうやら到達出来そうで、ヘロヘロ余命は5~10年と見て、今更ブログでもないだろうと考えるに至りました。

今はドンドンと終活で時間をかけて身辺整理に日々を送ってます。
身の回りの整理が済んだら漸く人生最後の大仕事に掛かりたいと考えてますから、ブログ遊びにウツツ抜かしてる時間はもう無いはずです。


今の所、日記ブログは止めて、自分の研究ホームページを再開してみたいと考えます。

さて どうなりますか??




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ブログ保存方法と、お友達に感謝です [終活 身辺整理]




 Yahooブログも始めてから8年余経過しました。

私にとっては、貴重な自分史で有ると同時に、日々のアリバイのような記録であって、
思い出す時には、その頃何をしていたのかなど、大変参考になると同時に、
我が生き様の記録で有ります。


自前日記帳を付けるほど自信がないので、
このブログは日々のケジメを付ける大切な日記です。

この自分の生き様の日記を残す事が如何に今後の終活に役立つかを
改めて今回知りました。


よく、ミスで全部消してしまったって書かれてるのを見ると、
ふとしたヒューマンエラーで野壷に嵌る危険一杯なんです。
2度と書けない日記は宝物なのです。

そこで、これらのブログを全部保存する方法を探してみましたが、
Yahooブログにはエクスポート機能などはありませんので
全て手動で保存するしか方法が有りません。




仕方無しにボツボツと手動で、
2010~2018年までを全て保存する事ができました。

物凄く疲れる作業なので日/3時間ほど少しづつですが、
10日ほど掛かってやっと遣り切りました。



実はこれ用に使えそうなソフトも有りますが、残念な事には、本文は出来ても、
一番大切なコメント部分が保存が出来ません。

そこで、1区切りづつ、ブログを開いて、
そのコメント欄を開ける作業を済ませてから、
その区切り部分を保存するという難儀な方法でやりました。

YahooブログがバージョンUPするすると脅かしてますので、
またどんなトラブルに巻き込まれる知れんので、
先回りしての作業です。



この作業をやる間に、づっと皆様からのコメントを再度読ませてもらいながら、
凄い!と改めて感激しました。

 
 

正に皆様のお陰で、ややもすれば崩れそうな病魔の10年ほども、
ほんまに暖かい励ましがあって、乗り越えられたのだと痛感しました。
ここに改めて皆様に心から感謝申し上げます。


これからも、愚かなボヤキ爺ですが、気力の続く限り書き続けたいと思っていますので
どうか見捨てずにお付き合いの程、重ねてお願いもうしあげます。

また、このブログに何時も参加して励まして下さった方の、
訃報を受け取りとても悲しい思いをしております。
ここに ご冥福をお祈り申し上げます。



大分の尾畠春夫さん(78)と同い年で、性格も似ている様に勝手に思っています。
観音様は日頃お会いするご縁のある方が全て観音様だと心得、今後も励んで書き続けます。










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聖観音菩薩 [終活 身辺整理]





突然ですが、恐山に出かけてみたい気分になって、YouTubeで出かけてみました。
何か不思議な気分になり、〝やっぱ止めとこ” って気分になりました。


私の病暦もあと10日ほど節分で、病終いです。

人生の床上げが出来ますように

我が家の 聖観音菩薩 さまです。









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早いもんで明日は晦日! [終活 身辺整理]


胎蔵五仏(たいぞうかいごぶつ)は、仏教の尊像の一種で、密教の世界観を表した両部曼荼羅のうちの1つ、胎蔵曼荼羅の中心に位置する5体の仏のことである。具体的には、大日如来、宝幢(ほうとう)如来、開敷華王(かいふけおう)如来、無量寿如来、天鼓雷音(てんくらいおん)如来を指す。

(三重塔が夜中に開帳されるのは、大晦日の夜から新年にかけての二時間ほどだけなのです。
宝仙寺HPより拝借)


私は既に記しました通り2014年11月に

 結縁灌頂を済ませ投華得佛記にて
天鼓雷音如来 
を拝し仏縁を持ちました。

この仏様とのご縁を深める為に、
以前よりこの 天鼓雷音如来 を ”摸刻” したいと思っています。

私の守護神は 天鼓雷音如来 であります。

今年の大厄年も猛烈な病魔との闘いからようやく無事に切り抜けられ命あって、
来年こそは念願のこの仏像を彫りたいと願っています。

きっと命続く限り 彫り続けよ!との命だと信じております。

また、大日如来の化身が不動明王だと言われていますので
ぜひとも再度挑戦したいと思っています。






 今年までに物色していた厨子が二体、アウトレットですが手に入ったのでこれに安置出来るようにと考えています。
赤い厨子が30cmで“不動明王”を、 黒の厨子は20cmで“天鼓雷音如来”を安置しようと思ってます。

厨子とは、仏像、仏画などを安置するもので、一般的には正面に両開きの扉があり、屋根と台座のある戸棚のような形をした仏具です。厨子は屋根の形によって、丸厨子、平厨子、帽額厨子などの種類があります。

厨子は、仏像・仏舎利・教典・位牌などを中に安置する仏具の一種で広義では仏壇も厨子に含まれる。


悔いない余生を送る事が出来ますようにと
心して来年の目標としますのでよろしくお願いします。

平成最後の年末にて





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猛烈 断捨離中なり! [終活 身辺整理]



季節の変わり目、微妙な気候変化でも、敏感に察知して突然胸が締め付けられる。

自前の診断では、術後の肋間神経痛だと診断してるが、狭心症の疑いも捨てきれない。

気温や気圧の変化に微妙に反応して、胸の筋肉が痙攣、コムラカエリが頻繁に起こるのは?


今は兎に角、一日も早い断捨離を済ませて、楽な気分でお迎えを待ちたい。
そんな気持ちの変化が最近激しくなってきて、猛烈に整理をやってるが、中々進まない。

TV等で、不幸にも他界された身寄りの無い方の整理業の方の報告が放映されてるのを見るにつけ、人はなぜそんなに一杯大事そうに溜め込むのかと考えさせられる。

当然、私もあの世に持って往けない荷物であるのに、捨て切れず、一つ一つ走馬灯のように思い起こさせられる風景や思い出、苦難を振り返り、人生ってほんま 儚い、無常なものだと考えさせられる。

ゴミのような思い出も私にとっては宝物、死すと整理やさんが手を合わせ、ゴミに処分されると考えるとどう処分したらええもんやらと悩む。

無論、金になるような物は皆無、全てがゴミなんだけど・・・・・・




なまんだぶつ・・・・・・






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西国三十三所十一番 上醍醐寺 [終活 身辺整理]


ふと思いつき、始めた西国33所巡礼。
調べたけれど平成19年10月29日(2007)にお参りしてますが、まだYahooブログを始めてなかったですね。
先月に三十三番をお参りして満願まで10年弱掛かってます。
最初のご朱印です。
第11番札所は下醍醐寺ではなく 深雪山 上醍醐 准胝堂 (醍醐寺)でした。


”2008年の准胝堂火災により、准胝観音像が下醍醐の観音堂に遷されており、
  現在は時間を要せず礼拝できる。”・・・?

まぁ 私は運良く本物准胝観世音菩薩に参拝出来たようですね 
 


本尊・准胝観世音菩薩坐像 焼失か?

ウイキニュースでは、”朝日新聞、毎日新聞によると、8月24日午前0時30分頃、京都府京都市伏見区醍醐にある醍醐寺から境内の建物で出火したと119番通報があり、上醍醐(同境内の一角)にある「准胝堂」(じゅんていどう)と呼ばれる観音堂約150平方メートルと隣接する休憩所約50平方メートルを全焼して午前2時50分頃に鎮火した。毎日新聞によると、准胝堂の本尊である准胝観音坐像も焼失したとみられる。”
と書かれてる。

調べるも、本尊が焼失したのか明確に書かれてない処が??? 定かでないですね!
お堂は無くなってますから焼失間違いないけれど?
現在は霊場として何を参拝してるのかが問題だ。



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「ボインは~~~♪」のおっさん! 慌てて逝きよりましたなぁ~
なんでそないに慌てて・・・ 80歳になったら慌てなアカン訳でも有るのか?
ほんま周りはゾロゾロ連れもって逝くからこっちゃも考えんとアカンのかと思うやろ・・・・

まぁ準備はでけてるから、ドンと構えて待ってたるさかい。




思うに人生って60年で1周期を周るのだが、60年前の春にM電器に社会人として世に出た目出度い歳だった訳で、あの頃は順風漫歩で飛ぶ鳥でしたね。

だから丁度60年経った今月は、まさに新入社員だった頃の春と同じ運命を辿り始める訳です。
当分の運気は上昇気流で行くと思ってます。この時を待ってた訳です。





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西国第三十三番 谷汲山 華厳寺 満願の巡礼を終えた [終活 身辺整理]



西国三十三番満願霊場 美濃国 谷汲山 華厳寺
「谷汲さん」の名でも親しまれ、
西国札所の中で最も東の岐阜県に位置しています。


20日、
これから始まる戦いに挑む心の準備と言えば大げさですが、
罷り間違えればって事もあるので、まだ道路状況も不安ですが
快晴の冬晴れに釣られ、朝決行しました。



9時出発、
岐阜大垣を過ぎて華厳寺まで到着は午後1時半、
経費節約で国道を4.5時間のドライブです。



眼がまだ不安ですが、安全運転でボチボチ出かけたので時間掛かり過ぎ、
琵琶湖大橋を渡り、関が原から遠景に雪の白山が見え隠れ。
滅多に通らない国道からのんびりと眺める景色も乙なもんです。






最後の階段登りで止まり止りし息切れしながら登り切りました。そこは別天地!
満願の喜びもひとしお、とても有り難く感じたのは何故。やっぱ歳で弱気になってるのか?




茨らの長い人生を無事に全う出来た報告と感謝をし、
残る余生を穏やかに迎えられるようにとお参りしてきました。

肩の荷が下りた安堵感から瞑想に耽り 本堂の椅子でしばし感傷的になる。
一回はやらねばならぬ物を遣り切った安堵感とでもいうのでしょうか?





本堂の柱の鯉は、「精進落としの鯉」で満願してから精進落としのためにさわりました




さて帰路に一つのイベントを行う予定で、寄り道しました。

岐阜県美濃の国、とある河川の際を見に出かけたのです。
今はなんの変哲もない風景ですが、私にとっては、最も古い記憶の世界なんです。

74年も前、戦前の4歳頃の疎開の記憶です。

焼き付いてた記憶を、もお一度、その思いが足を運ばせました。




母方の祖母の実家生家です。
戦況も怪しくなってきた戦中頃、母に連れられ1度だけ泊まった記憶です。
そこは、激流崖っぷちの生い茂る雑草を掻き分け、
川の傍からその家に攀じ上り入った記憶が未だに何故か残ってます。

その記憶に惹かれるように立ち寄ったので、最後にどうしても見届けたかったのです。
これも終活の一つだったのです。



親戚からおおよその場所見当を聞いておりましたので、目分量でバッチリ見つけました。
今はスッカリ新しい家に変っていて道路も舗装、記憶の面影も全く無し。


その場周りの家人から、色々お聞きする事が出来、
この辺はみんな同じ苗字ばっかで、

ご先祖がどちらなのかがはっきりしなかったのですが、
明治初期、番地表記も無い、除籍簿を見せ、
後日調べて知らせてくれる事になり、これもご利益かと感謝です。




帰路は、遅くなったので高速関が原ICからで2時間ほど掛かりました。
久しぶりの高速運転で、120km/hの運転には眼が付いて行かない感じです。
危険を感じここも歳を感ぜずにはおれない。

80km/hほどでトラックの後に附いて走行してきました。
ほんまに良い一日でした。感謝。

















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