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昭和PCのリニューアル [昭和回顧録]


GW も漸く終わりになってくれてヤレヤレですがな~

出かける元気も無くなる渋滞はサラリーマンにお任せして、
我ら年中 Golden Year族は 自宅待機がベストですね。

そん~んでもって、またまたゴソゴソとDIYです。




古き良きPCのリニューアル

未だに捨てられずにいる往年の武士達を
我が命と運命を共にする為に、最後に作ったPCです。

以後製作のマシンは我が業務上、廃品となった過去のマシンと
オークションなどで買った中古マシンやパーツで作られています。

勿論新品は既に廃盤になっていて、パーツ集めが大変でした。



上部棚の上のマシンはNEC98シリーズ PC9821APで 
最強CPU、Intel486マシンで、x86マイクロプロセッサ搭載。

8Bit 16Bit の過去のソフトをカバー出来るようにしています。

OSに MSDos5.0 Win3.1 を走らせています。
このマシン時代で10年ほどは事業安泰でした。

このIntel486マシン や Pentium 4マシンは、私の仕事の独立に、
唯一見方になってくれた素晴らしい相棒だったのです。

誰も手掛けない分野、独学で先端を走る苦しさも有りましたが、
成功すれば最強の見方だったのです。

やりたい放題で自動AIマシンを作り運用して稼いだ母体なのです。
これらも私の昭和の遺物の記録なのです。





下の大きいのは富士通 W600
IDE-RAIDモデル(オークGET¥1000)
と言う農協で使われてたゴミのタワーマシンです。

このマシンを大改造して
ペンティアム時代の最後のマシンとして、
 第一世代のCPU Pentium 4 2.8Mhzマシン、
16 32ビットが走る最強のマシンを目指してリニューアルで作った
過去の遺物専用のお遊び用です。


色々追加パーツでテンコ盛りマシンは、とうとう電源がお陀仏となってましたが、
ジャンク品を先日オークでGET(¥580)して280wから400wに取り替えました。

3.5FD 5FD CDWR 230MO のメディア対応、
OSは、Win89SE Win2000 WinXP を搭載してます。

HDDを内部に3台、外部に1台搭載していて、
過去の作品資料やデーター類、
各OSソフト類など、保存をしておきたいこの時代の古き物を
すべてこのマシンに残しています。

まだ公開していない元祖8Bitマシンが有りますが、次回に回します。



間もなく 夜明けが来ます。
夜明けが早くなりましたね!

あと1ヶ月、鮎友釣り案内はがきが来ました。
もうそんな時期になったのですね。

今年は、このぼろぼろヘタレ腰で、何としても最後の友釣りをしたいと思ってます。

お休み。











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1940年生まれ [昭和回顧録]

1940年生まれ

王貞治(野球選手)、張本勲(野球選手)、大鵬幸喜(力士)、麻生太郎(政治家)、篠山紀信(写真家)、ジョン・レノン(歌手)、ブルース・リー(俳優)、ペレ(サッカー選手)

1940年(昭和15年)生まれの方は、第二大戦中に生まれています。1940年6月にはドイツ軍の侵攻によってパリが陥落し、フランスがドイツに降伏しています。9月には日本はドイツ、イタリアと日独伊三国軍事同盟を成立させました。

この頃東京で有名な戦時下のスローガン「贅沢は敵だ!」の立て看板が立てられたそうです。戦争はその後1940年生まれが5歳となる1945年まで続き、日本は連合国に無条件降伏します。

日本は連合国の管理下となり、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が設置されます。GHQは日本の変革を進め、民主化、非軍事化、財閥解体、農地改革、教育改革などを実行していきます。

1940年生まれはこの日本が大きく変わっていく時期に育った世代と言うことができます。育った環境が上の世代と異なるため、考え方や価値観も違ったものになっていきます。この世代は上の世代に対する違和感を持ち、学生運動をか発に行っています。

1960年には日米安全保障条約改定が国民的な議論となり、学生が大規模な反対運動を行いました。1940年生まれの方はこの時20歳で、まさに運動の中心となっていました。






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昭和は過去8 一緒に戦ってくれた子分達 [昭和回顧録]


昭和の残骸、可愛い相棒だった子分達です。
工場閉鎖に伴い、出てきた諸々の処分まえに、この世に残しておいてやろうと記録するものです。
自分と同じで単に捨てるだけには忍びない思いがそうさせるように思います。

どんな物でも使い込んだ物って何となく愛着が有って、捨てる事には躊躇はしませんが、その物たちの供養をしてやりたいのが人情で、針供養とか包丁供養なんてのも有る様に、道具ってそこには魂が宿ってると思うのは私だけでしょうか。
誰かが使ってくれるなら、そうしたいですが、こんな古物は今時使い物になりません。
ここにも自分と同じく時代を感じるものです。





昭和30年代初の National ナショナル PV-3A ボルトメーター
俗に真空管電圧計 バルボル と言ってました。
トランジスター製品が出始めの、扱う電圧が6Vとか9Vの世界でバイアス0.何ボルトの世界に激変した頃です。
今までのテスターでは使い物にならなくなってきた頃に使ってた残骸です。
この頃はまだアナログ時代で、微妙なバイアスが性能に影響した頃で、デジタル時代をまだ経験してなかった道具達です。






単純なテスターと言われるもので、それぞれに何か思い出が残ってます。
左下の青いやつは20年ぐらい使い込んだデジタルテスターで、出始めに買ったものです。
電池ケースの部分のネジが割れてとうとうご臨終です。
右下のアナログテスターは何とか現役で動いてますが、使う人間側が耄碌しかけで、細かなメータ表示を読むのが億劫になってしまって、デジタル表示に頼るようになり出番が無くなってしまったものです。




TRIO CS-1820  TRIO CS-1820
1970年代 価格は7~8万円
アナログ時代の最後の頃の光センサーを扱ってた頃の道具です。
これを使って作ったA0カラースキャナーマシンが以後10年以上、私を助けてくれた腹心です。










AX-610s - アデックスエール株式会社 logic probe  TTL and CMOS パルス検査器

20年ぐらい前から使ってたデジタル時代で結構重宝した道具です。
パルスとHLを見分けるのに散々使ってきた物で、まだ現役です。






散々使い込んだテスターさんがとうとう返事せんようになってしまったので、
新規で昨日買った最新のテスターです。
中国産とは言え、なんと安くなったものですね。
送料込みの ¥ 1,191
どうやって中国から運んできてどこで利益が出るのか、マジックです。

まだ整理中ですが、時間がないのでここらで一旦UPして 後ほど個々の思い出などを追加してゆきたいと思います。





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昭和は過去7 儚い夢 その2 雪の比良 [昭和回顧録]

       1963年 自己満の世界、    
    
     世は 春日八郎 「長崎の女」♪      

 23歳 我が青春 ど真ん中、            

命知らず怖いもの知らず、向こう見ず ド阿呆男の青春回顧です。





ロープが腐食、触ると切れそう!

こんなもん
履いて・・ よう残し取ったもんじゃわ


雪の南比良縦走路 蓬莱山目指して 
23歳 馬鹿が1人行きます




コメント  つたない自筆の原文ですので、書き直してます。ご笑納を


1964.2.23 雪の蓬莱山へ
1964.2.23.日曜日 今年初の山登り。         
昨年は5月初めて比良に入る あの時もほんの少し
残雪があったようだ。今年で比良山に入るのは    
4年目だ。しかし雪のある比良は初めて、おまけに 
独りの山行きも初めてだ。なぜこんなにまで       
山に入りたいのか自分でもはっきりせない。        

AM5.30、まだ暗い内に起きる。外は雪がドンドン
降っている。                                          
出町柳よりバスで一路花折峠へ、まだ雪は降り続いて
いる。花折峠で7~8名の山男がおり2パーテー
程だったろう。元気に出発した。自分も独りだけど
元気をだして歩きだす。8.50                    

花折峠からアラキ峠までもくもくと1時間以上歩き続ける。
雪はひざまで程ある。先に行ったパーテーの足あとをおい
続けた。アラキ峠から権現山までぶっ飛し、小休止。
カメラのシャッターを切る。                          



小女郎小屋に着いたのが12時、この峠はほんとにきびしい。
体がおしたおされそうな飛雪が顔にあたりいたい。
手は赤くふくれ上がり感覚はほとんどない。      
足も同じくもうしびれてしまっている 又しもやけ
になるだろうと心配になる。                      

とにかく小屋で休む。10名程こやの中はいっぱい
だ、にぎりを食いながら温ったかいスープを口    
にしたらほっと一息つく、小屋の外は合い変ず    
吹雪の様だ、トタン張りの屋根がガタ云う、すき間から
粉雪が入りこむ。携燃の小さな一火だけが温た  
かい。 1時間程休んで 小屋を出る。            

もう蓬莱山までもうすこしだ。真白に雪におお
われた女性的なスロープ。めざすはもうすぐ
だ、腹がふくれた所でシャッターを切る 後は
蓬莱山、もう一山向うだ。                      








とうとう 着いた。何度か来たこの山頂 でも
今日の喜びは又格別だ PM2.30
          





コンピラ道へ あの峠がコンピラ峠らしいなぁ
地図とにらめっこ中                           


コンピラ峠 木戸へおりようか、それとも
蓬莱駅へ行くか、少々考え小休止      
相変らず落書は多い、でも落書き見るのも又楽しい

このあたりから伊吹や霊仙、御在所が実にきれいだ。
蓬莱駅へドンドン下る。もう琵琶湖も近く感じる。      


後、1時間も歩けば、今日の予定は完了、フイルムも最後だし
一枚シャッターを切る。まだ元気がある様だ。だいぶあつくなり
キルティングもぬぐ、さっそうと下山。                           

今日一日 ほんとうに楽しかった。又来るまでお別れだ。
ちらほら人家が見えてきた、又いやな町の音が           
聞こえてくる。やっぱり山はいいなあ 一人で            
しみじみ山を感じ ほんとに山の好きな人が            
なぜ行くのかがわかる様な気がする。                   

すみきった空気をいっぱいすって                     
もう小鳥が潅木の間を飛びまわってる。 PM 4.20




権現山  アラキ峠  ホッケ山  小女郎峠  蓬莱山頂へ




蓬莱山に別れ、一路下山に移る コンピラ道より 

この尾根つたい よく歩いたものだ われながら感心する。


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ここまでが、アルバムからの人間スキャナーで引っ張り出したもので、
行程全部で白黒画像が35枚、36枚撮り 内幾つかをUPしました。     
つたない自筆で、読み難いから頑張って書き写しました。すんません。


セピア色したつたないアルバムも
今見返ると なんとも言いようの無い お宝です。

写真だけでなく、コメント書いてるのが その時の我に戻れて感激もの。




現在の蓬莱山の全景画像が無いので参考に無断でお借りしてきました。



参考画像 Google雪の蓬莱山
https://www.google.co.jp/search?q=%E9%9B%AA%E3%81%AE%E8%93%AC%E8%8E%B1%E5%B1%B1&client=firefox-b&dcr=0&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjtuoP46eDYAhUMU7wKHY9AC_MQ_AUICygC&biw=1334&bih=916#imgrc=uwdn-o446LO7dM:




この雪の比良を描いてると、色んな事を感じます。
23歳、もう55年も前の忘れかけてた記憶が目の前にドバァ~と
甦ってきて 昨日のような錯覚に嵌った。


脳味噌の何処かにメモリーされてた記憶が刺激すると
ナンボでも紐解けるって事は、人間って素晴らしいね。


没したらこれらの写真も記録もなんもかもが、
処分されてしまうなんて考えたら眠れないよね。
これこそ人は何の為にだ!
肉体は没しても、霊は浮遊して生きていたい。






何の役にもたたんブログを描いて、
自己満足の世界である事は確かなのだが、
描いてみて何かそれ以上の何かが有るように思えてならん。


生き恥を掻いても何とも思わん様になってもた脳味噌だけど、
意外と老後って「生き様によってはおもろい」のかも知れん。



”会社では部長までやった とか 公務員なら局長まで”だとか、
同窓会なんかに行ってもカッコ付けた言葉や文章なんかを読むと
なんか無理してるなぁ~なんて・・・・、失礼しました。




引退したら只の人、何があんたに残ってるねん? 
金かぁ~ 地位かぁ~ って聞きたい悪意ある性分の爺じいなんだねぇ~!
”第2の人生謳歌”なんちゃ言っちゃって気の毒なお方としか聞こえねぇよ


まぁ~技術系のサラリーマンは所詮、上司命令なんて馬鹿にしてて、聞く耳持たんのじゃわ。
周りにいた技術者はおおかた早くに独立してるよね。全部とはイワンが・・・・・






山歩きの半分ぐらいは単独行動でした。
この頃からどうやら自己責任で物事を判断する訓練をやってたみたいですね。
今なら馬鹿扱いの批判の嵐の行動なんだけど、
当時の己にはそうは思わなかった元気と自信が有ったのだろうと思う。

一つ天気が急変してたら、こんな軽装備、冬山独りの行動なんて いちころで凍死直結ですは!
”命知らず、怖いもの知らず、向こう見ず”なんて云われるわなぁ。
まぁ悪運強く生き延びてるけど

ほんま ”ハチのムサシは 向こう見ず~♪~~~” ですね。
強運とでも云うのかな?


25歳で自営独立し機械メーカーとして60歳まで
死なんとようやってきたのも、
全部この頃の自己責任で何でもやる訓練が多いに役に立ってるのではと。
どんな苦境も乗り越えてきた”我が人生に悔い無し”の原点なのかも知れないね。


何が言いたいかって! 要は山が好きで、
この間に人格が出来てきたと言いたいだけ。


昔のコメントの書き方と 今のコメントを見ると同一人物だってよく判る。
なんも進化してないって事も判るから おもろいね。






参考画像 Google雪の蓬莱山の写真 の今昔を見比べて見ると、
景色は変わらないけれど装備なんかは違いすぎる。

今はそれが当たり前の冬山重装備であるが、
当時はキルティングと言っても中は綿が入ってて 
濡れると物凄く重たくなる優れもの?で、
ゲートルみたいなもんは、母が編んでくれた毛糸の靴下のデカイものです。
今みたいに何でもゴアテックスなんて無かったよね。
ナイロン合羽ぐらいが雨具で手袋も綿入りの2本指のやつでした。

ワカンも木製、今みたいな金属や硬質樹脂のようなもんも無かったし、
第一紐が麻紐でっせ。

勿論スマホも無いし、地図バックに羅針盤ぶら下げて・・・・
ほんまおもろいカッコで登ってたもんだわ。


このシリーズ後、区切りが付いたら、今度は自営業自分史を載せる予定です。
リーマンショックでわが社も連鎖食らい、”フーテンの寅”をやってる時の
ホームページを再度UPしようと思ってます。

ご静聴ありがとさんです。




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昭和は過去6 儚い夢 [昭和回顧録]



ドラエモンの終活の整理から出てくる昭和の過去です。

何としてでも もぉ一度! 
出来るものなら! 
全財産をぶっちゃけてでも! 
今の命と交換してでも!?

思い出は何の為に?  
人の願いは何の為にあるのやら?


そう思う事が有ると言う脳みその働きは、
出来る事である筈なのに何で見つからない・・・・・?

世界一の贅沢な欲望かもしれないね。
世は儚い   じゃ!


右から  ha2*5*ruやん べ~やん  おじい  ボロ爺 












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昭和は過去5 真昼の鯛釣り! [昭和回顧録]


昭和は過去5 真昼の鯛釣り!


1980 昭和55  40歳  イラン・イラク戦争開戦

当時は釣りきち三昧、家庭を省みず休みの日は何処かに釣りに。
大名釣りと称して”チャーター船で大鯛釣り”までやってもた馬鹿です。

記録に残ってた画像を最後にUPして、釣りともお別れとします。


若狭湾、千島沖 オキアミが世に出てきた頃で、凄い釣果が有った頃で、
この大物は、釣りサンデーの表紙にも載った大鯛で
釣りでのその年までの日本大物記録でしたが、
翌年、記録は書き換えられました。





二人のガキは既に40前後、もう世代は交代、
老いぼれは介護されるは、もう全てが限界かも知れません。

今年の正月、青い長靴の息子が初めてお年玉をくれました。

「元気な内に楽しんできて~」 
だってLINEで知らせが!

さて何処の温泉に行こうか思案中なり。

やっぱ有り難く貰っておいて、貯金しておいたろ!

親馬鹿おやじなり 
 
 



追加フォト

関門海峡の砲台 2007

更に追加フォト

話が息子になるのでUP
青い長靴の息子が、社会に船出する朝です。
あれからもう16年も経ったかなぁ~~




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昭和は過去4 真昼の誘惑! [昭和回顧録]

2003 平成15年  63歳

前回書きましたサーバーの運用記です。




暇な方は1度は見て下さい。
何方も経験したことが無いおもろい発想で作ったFlashのコンテンツです。







我がサーバーに異変がぁ~~~~~~







NET界が大騒ぎ、おもろいやおへんか!

わしの事をワイワイ言って書いてるなんて、痛快 痛快 


何でも世界1が大好きなので、はい! 
ドヤ顔でっしゃろ 



時は流れて2005年
罰が当たってしもうたがな!

2005年11月 65歳 喉頭癌 発症、以後は闘病記ばっかりになり申したのじゃ。
この辺がわしの生命力の限界が来てたのかも知れん。
で、ひま爺は 以後はボロ爺に変身した訳じゃわい 



これにて、サーバー遊びはお終いにします。

この1連の我が回顧記が終われば、当ブログも一旦終了閉鎖を考えてます。
飛ぶ鳥 跡を・・・・・・・・!
残すじゃわい





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昭和は過去3 [昭和回顧録]



昭和は過去3  ドヤ顔どす

このシリーズも3で、撃沈した還暦過ぎ60代初期のボロ爺が何してたかを探る回顧録のようなもので、
独り善がりのドヤ顔の放列です。この後、癌との闘いが始まります。
気分を悪くするかも知れませんので、精神異常の方はご遠慮ください。


我がPCの歴史は1976年 TK-80 との出会いから始まってます。
 ロッキード事件 日航機ハイジャック事件があった頃で38歳の頃、42年も前の話です。
  先物食いのボロ爺は何でも食らい付く性分、

「誰も行かない男の道、ひとり行く」

から始まってそれがわが社の原動力となってた訳です。
仕事の合間に興味有る事にまい進して、結果仕事を成功させる事が出来たと自負してます。

本業は今回は外し、趣味の世界、NETを使うPC遊びに熱中、
ミニプロバイダーもどきまで行った話です。

24時間運用がサーバーの命、煩いファンの音に悩まされ何とかならんか から、
ファンレスサーバーを考えた。






このCPUの比較表から見て、VIA C3 と言うCPUを使ったサーバーです。
PassmarkCPU MarkはそのCPUの大体の性能と思って頂き、その値は100です。
当時のファン付きCeleronのPCの少し下ぐらいの頃、発売されたこのCPUを使ったサーバーを考えたわけです。
現在の一般的なCPUの性能の1/700ぐらいしか無い微能力PC だった訳です。




このミニPC、これで世界中と通信が出来るなんて素晴らしい事だと興奮した訳で、
アマチュア無線の感動にも似た物がありました。
自前のサーバーから好きなように出来るなんてなってこった~~~

物作りは本職ですので、早速ケースを作りドヤ顔で悦にいってました。
その頃の作品画像です。



初作です!



2作目です!
前面パネルにマスクをしてみたものです。






3作目です! ファンが有りません!
ハードデスク2台で、1台はレンタルスペースで貸し出してました。

こんな自作PCで運用してました。




次回は、このサーバーの威力を載せてみようと思いますので、ご期待を!
何 期待してない・・・・


だいたい、ドヤ顔で自慢したがると言う事は凡人の定番、そろそろ寿命が近い証拠のようなもの、
もう誰も褒めてくれないので、勝手に自分にご褒美を上げてる訳で、
その後引退、死亡ちゅうのが定石なんでご勘弁を。
まぁ最後の足掻き、喚き、沈没 そして臨終ちゅうもんです。

そんで今最後は80歳までに、自前棺おけの装飾金具を作ってる訳です。
そう!ツタンカーメンのような・・・・・


サンプル ですぞ!
























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昭和は過去2 [昭和回顧録]


昔は良かった 






http://www011.upp.so-net.ne.jp/homeless/

このサイトは2003年に私がSO-NETのUPページにUPしたフラッシュばかりで出来てるHPです。
それ以前は自宅サーバーで運用してましたが、運用が面倒になりSO-NETプロバイダーに移行した残骸ものです。

それから15年は経過して世界はとても変わってしまいました。
でも最近アクセスすると、まだ生きてて 見る事が出来ました。


しかし



Flash(swf)ファイルは、そのファイルに命令文(リンクのようなもの)が組み込まれてるので、今ではウイルスと認識されるのでブログにもUP出来ません。許可してくれないファイルなのです。

言い換えるとウイルスだらけが組み込まれてる状態だと言う事ですが、このページには私が作ったものですから安全です。
アクセスすると、Flashを1時的に許可するかと言う警告文が出ますが、私が安全を保証します。(怪しいですが)

そこでお手伝いお願いしたいのですが、メニユーの列にマウスを乗せるとどうなるか? 







となればOK牧場です




次に info と書かれてる処をクリックすると私の照会文が出てきるでしょうか?



こちらでは確認出来てるのですが、最近はこの手もサイトは危険と言うことでほとんど存在しません。

さらに ひま爺の素顔 って処をアクセスすると 活け面が。。! 

この仕掛けが作りたいのです!
これがFlashの醍醐味なんです!
実はこの頃、NET界の暴走族でブイブイ言わせてたのですわ! 


昔は面白いページが作れたので良かったです。

でもとても面白いページを作る事が出来るので何とか出来ない者かと思案中です。
今はこのページにUP出来るか試してないので、1度試してみますが、怪しいですね。








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昭和は過去! [昭和回顧録]



Homeless

リンク切れ 多数有り
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追記
このFlashで作ったサイトは現在、Win IE11辺りでサポートされていないようなので、
新たにアプリのインストールしてまで見て頂ける事は無いと判断しました。
よってこのFlashコンテンツはMP4に変換して現在の環境で見られるように変えようと考えましたので、一旦非公開とし、後日UPする事にします。
あしからず。 管理人




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