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天鼓雷音如来 [不動明王とルーツ探索と家宝]




ウィキペディアでは 胎蔵界五仏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8E%E8%94%B5%E7%95%8C%E4%BA%94%E4%BB%8F

天鼓雷音如来 は
 ”胎蔵界五仏図の北方(画面では左方)に位置し「涅槃」(悟りが完成すること)を表す” と記されている。

少しも意味が判りませんが・・・・・? これから判るようになる? かもです。


 既に記しました通り2014年11月に

 結縁灌頂を済ませ投華得佛記にて天鼓雷音如来を拝し仏縁を持ちました。

この仏様とのご縁を深める為に、これよりこの
天鼓雷音如来を ”摸刻” したいと思っています。


 ブログ記事 投華得佛

https://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9ib3JvZ182MDIvMTg4ODI4OTcuaHRtbA--



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投華得佛 [不動明王とルーツ探索と家宝]

大日如来の化身が不動明王だと言われています。

黄不動、青不動、赤不動を日本三不動と言われ、
その最古の不動が黄不動で、
円珍の根本画像と言われています。
 
 
お不動さん信仰の原点とも言われる根本画像にお会い出来た事は、
私の信仰で生涯忘れる事のない出来事と思っています。
 
 
処で最近信仰心が高まってきた事は、
無論お迎えが近い証拠である事は明らかですが、
少し整理をしておきたいのです。

宗派って日本には沢山あって、
つい今しがた出来たての新興宗教や
古代エジプトやメソポタミアなど数千年の歴史のあるもの
など数え切れないです。
 
ではなぜ、今の私が浄土真宗の檀家なのかが判りません。
親鸞の教えなど、正式に習った事も無いのに信者として登録されています。

寺からは仏事の予定お知らせがきて、
やらないといけない事の様に世間では言われ、
そこにはお布施と称するものが介在します。
 
信仰そのものをとやかく言うつもりは有りませんが、
貧乏人にはお寺との付き合いは大変で、
食うものを始末してでもって事になるのが信仰なのか疑問です。
 
 
 
 
私は天台宗の信者でも有りませんでしたが、
今回この黄不動尊との出会いは
他人事には思えない関わりが有るからだと思います
 
 

そこには曽祖父が約この10年間ほど、
徐々に見えない力で引き合わせたのだとしか考えがつきません。
だから余計に入れ込んでいます。
 
 
 

 
結縁灌頂を済ませ投華得佛記にて天鼓雷音如来を拝し仏縁を持ちました。
 
 
 

何かが変わったかと言えども変わる訳もありません。
これからの余生の生き様がそのものだと考えるからです。
 
歳とともに人は西国とか四国巡礼とか神仏に頼るのは常で自然発生的です。

以後残り僅かの余生、
 
行動の原点は其処にあるからと言えば 大げさになりますが、
それが信仰と言う心だと思うのですが・・・・
 
残りの巡礼も心して参りたいと思います。
 
 
 
 
 
何か良い方向に事が進めば良いのですが
そうは目に見えて変わる訳も無いと思います。

結果がどうあれ、成すがまま流れの様にですね!
守られてると言うその安心感が信仰なのかも・・・・
 
 
今日は少し真面目なお話でした。


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村上藩士簿分限2 [不動明王とルーツ探索と家宝]


前回の書き込みで証拠の無い書き込みと思われるのもなんなんんで!
この中の藩士の項目の”士族堀口久徳長女”の表記除籍簿をUPしておきます。
 
堀口久徳は堀口忠蔵の家督相続人です。
 この戸籍簿と突合せに出かけたのです。
以上です。

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結縁潅頂 [不動明王とルーツ探索と家宝]

11月21日  園城寺にて天台結縁潅頂を受けました。
 


日本の密教の原点、恐れ多くもその天台密教の真髄、その頂点に触れて感動しました。
 
 
 

 
ゆえに多くを語れない。ごめんなさい!
 
 
 
 
 
 
 
ど~~んと心の奥に深く刻まれてきました。
身震いをしながら・・・・・
 
国宝「智証大師坐像」、重文の「黄不動尊立像」は一般公開と言うことで、大勢の方のお参りで押すな押すなのごった返してまして心ゆくまでお参りする事は叶いませんでした。

しかし私一人に特別に僧侶お一人を付けていただき破格の扱いにてお気遣い頂き、感謝に耐えません。
先代遺影と共に結縁潅頂にて守り本尊を決め法縁を結んでから、
  秘仏国宝 絹本着色「黄不動尊画像」を奉拝させていただいてきました。
 
 
眼前に国宝を奉拝した折は流石に圧巻でその重厚さに感動し、
            薄暗い中緊張を感ぜずにはおられませんでした。
 
 
 
両不動とも想像していたよりも大きく、保存状態の良いのに驚きました。

あまり喋ると仏罰が下るので少しの感想のみとします。

 
晴れて法縁を結び何かしら重く心に感じるものがあり、仏になった気分とでも申しましょうか??
さぞかし先代もお喜びであろうと思いこれぞ先祖供養だと思うのですが如何?
 
 
 
 
 帰りがけに第百六十三代長吏 福家英明氏とお話する事ができました。感謝。
天台寺門宗
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E5%AF%BA%E9%96%80%E5%AE%97
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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不動明王 おたく [不動明王とルーツ探索と家宝]

日本三不動

黄不動-滋賀・園城寺(三井寺)蔵 絹本着色不動明王像(国宝)
   平安時代初期9世紀の作  別名、金色不動明王

青不動-京都・青蓮院蔵 絹本着色不動明王二童子像(国宝)
   平安時代後期の仏画  

赤不動-和歌山・高野山明王院蔵 絹本着色不動明王二童子像(重要文化財)
   作者不詳
 
 

愈々オタク病です。
8日、大津市歴史博物館に出かけた。
どうしても事前に知識と高揚を増やしておきたくて、本番に向けてテンションアップです。
朝一番開館からとっぷり浸かって肌で感じる何かを求めて・・・・・
 

 

本命は展示されてないけれど、想像を超える仏像群(150点ほど)にその世界に浸れました。
 
 

 
疲れました・・・・


 
あと11日ほどの辛抱です。

 
 
 
 

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これもお宝?? [不動明王とルーツ探索と家宝]

これは我が家に残っていた設計図です。
 


大正時代であろうと思われるもので、戦前は一杯有りましたが、戦中戦後の混乱疎開などで残ってるのはこの1枚のみです。
天井裏に有りました。
 
祖父が製造していた初期の蓄音機の設計図です。
 
平成の今になっては、これも我が家のお宝の一つですね!
今使ってる遊び小屋(150年もの)の天井裏は未開封で、何が隠されてるかワクワクしますね!!
 
これを復元するにはどうすりゃよいものやら・・・・・・・・・・・???

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お彼岸墓参りと、戒名! [不動明王とルーツ探索と家宝]

WEBより抜粋
”明治4年、今から140年余り前、
日本が明治維新と言う史上にない大変革に近代日本に邁進する中に
「廃藩置県」と「神仏分離令(通称)」が発令された。”

 
俗に言う廃仏毀釈運動によって
曽祖父の寺 東實坊 (三井寺の取巻き寺の一つ 長等1丁目 現在の日赤)は
焼き討ち火災によって消失、この折諸々の資料は消え去った。
 
その後、戸籍法の壁で関係先を歩き回ったが
全ての探索閲覧は許可されなかった。

曽祖母は明治9年に長男を出産(祖父)した後に、その後他界したはずだが、
その資料は混乱の中で後世に残す資料は皆無状態だった。

これも戸籍法の壁で役所金庫の扉は開ける事は出来なかった。
現在我が家に残ってる公文書は昭和13年に書かれた
手書きの京都市左京区長の謄本が最古のものだ。

結局、この曽祖母の出生日は判るが、命日は判らず、
葬儀を行った寺も、戒名も不明だった。

また100年以上前、
祖父が後妻にした祖母が産後の何らかの体調不良で
当時の医療状態から伝染病に(以前に記載)係り他界したようだ。
生まれた子供も不運にも育たず他界した。
 
これら二人は戸籍簿上に1年程しか記載されていない
我が家にとって非常に短い付き合いだったようだ。

大津市の戸籍上の出生地を探してもその存在は今は皆無でした。
全く誰も知る由も無い悲しい存在であったようです。
 
大宇宙の中のたった一点の出来事ですが・・・・・・・
 
 
 

以上の結果から今回は新しく2名の仏様に戒名を戴き、
またこの子供も一緒に供養する事にし3名の仏様が増えました。
 

戒名は現在の檀家寺で事情を話ししたら、
私の熱意を見られたのか知れませんが
無料この曽祖母と祖母の戒名を本山から授かりました。
 
子供の戒名は何故か葬儀の受付繰りに書かれてました。
 
お寺にはいずれ誰かの年会で纏めて御礼するとします。

先日のお彼岸に墓参りと、新たな戒名で仏壇に入ってもらい、
 静かに念仏と供養をしました。
 
 

漸く皆が集まって賑やかになったようで、
私の出来る何かしら遣り残した物をやり遂げた満足感で
肩の力が抜けました。

これが腱板断裂の原因だったのかと・・・・・・・・・・・?
 
まぁそんな事、偶然とか迷信だと言われる方もお出でですが、
私の性格上気がかりな事は済ませておくという事が
今後の発展に繋がると考えました。
 
 
 
 
すると!
 
実は翌日24日に凄い変化が現れてきました。
40数年解決の糸口さえ見つからなかった事項が
大きく動き始めたのです!

これも何かの霊力なのかも判りませんが、今回は本物のようです。
ご先祖は守ってくれるのですね!
 
 
その先祖霊力 凄すぎる!
 
この話はもう少し経過を見てから話します。
 
 
 
 


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難問その2 [不動明王とルーツ探索と家宝]

先日も書きましたがこの11月、三井寺において”結縁灌頂で「仏縁を結ぶ」”というイベントに参加します。

”国宝の黄不動”との出会いが待ち遠うしいです。
 
 そこで考えたのですが、曽祖父が155代長吏で有った事は以前にも書きましたが、この機会に曽祖父に
も再度一緒に再会してもらえるようにと考えました。
 
当然、長吏であった曽祖父はその管理者であったので生前は対面されお世話されていた訳ですが、もう百
数十年も離れておられます。
 
色々整理している間に、曽祖父の古ぼけた肖像画(白黒写真に彩色されてる)が出てきて、最初誰なのか
わからなかったですが、調べる内に高僧の( 阿闍梨 顯定 東實坊大僧都 )曽祖父である事も判明。
取りあえずは家に有った適当な額縁にお入り頂いていましたが、今回はこの曽祖父と共に出かけようと考
えました。
 
”ご対面”って訳ですが、さてなんと仰るでしょうね?
親孝行ってのは有るけれど曽祖父孝行って有るのかな?
まぁ、今までのご先祖さまに対するご無礼の数々を詫びる積りで罪滅ぼしの同行を考えました。
きっと喜んでもらえると信じてそれが一番の供養と考えました。

 
 
この春の腱板断裂手術はこの肩の荷の性だと考え、これでようやく原因が判り肩の荷が下りると信じます

何やら怪しい信仰動機のようにも見えますが、正直そんな気分になれた事が何よりの喜びと感じます。
 
 
よく言われる「抗がん剤治療が悪るかったから死んだ」ってのは嘘です。
寿命と言うのは先祖からの因縁、最初から決まってる訳で、本人が決められるものでは有りません。
 
何でもかんでもハイテク時代と申しますが、やっぱ色々と不可思議なものが一杯あります。
古きものにも良きものも沢山有り、人はご先祖さまの意のままに生かされているのです。
そして少しづつ心配事が解決してゆく時、その生涯を終えるのでしょうね。
 
                            南無阿弥陀仏
 
 

 
 
肖像画はボロボロで母が何時か裏打ちしてたのを思い出しました。
補強はされていたけれど、迂闊に触ると破れそうなので扱いは厳重注意って処です。
 
今の額縁ってのが、傷だらけの子供の学校賞状額に私が入れたもので、肖像画を収めるような代物ではあ
りません。
で、新品をネットで探したのですが、葬儀用に使う金ブチ黒縁額は有るのですが、余りにも仏々していて
好きません。
大きさも半端な大きさで、巧く収まるものが無く、セミオーダーする事にしました。
長野県にある”額縁のタカハシ”と言う額縁専門店で四つ切りサイズから遺影額を作ってもらいました。
内側のマットというらしいですが、バランスが少し悪いですが、それより大きいと高額に成り過ぎます。
 
昨日シワ伸ばしと寸法直しして収めましたら肖像画に相応しい雰囲気で出来上がり満足しています。
後は鴨居に固定する治具を考えます。
これにて以後、我が家の代々家宝になります。
 
 
 
 
青年時代、私は何処の馬の骨なのか得体の知れない超貧乏ゴミ人間、先祖から何の財産も受け継がない哀
れな乞食のような身分と思って生きてきました。(経済的にです)
だから人様より一層の努力家として生貫いてきた積りです。
 
 
思い返すと様々な人生の場面場面で、何時も何かに支えられてるものを感じていました。
親に内緒で高校受験して合格して悩んだ時も、大不況下の就職試験でも何時も不思議な力に誘導されてた
と感じています。
若くして独立してからも下請け仕事はしたことが無く、ずっとメーカーとしてやってこられました。
その力が何なのか今まで全く知る由もなく、やっとそれがご先祖様の偉大なパワーだったのだと判りまし
た。
 
 
”2代目3代目で身代滅亡”とよく言われます。
代々、我が家も無信仰家ばかりでご先祖様を敬う事もなく坊主嫌い、それなりに商売されてきましたが、
私が引き継ぐべきものは”夢”ばかりでした。
 
正にその通りで4代目の私でやっと引き継がれる事になるとは、やっぱそんな事があるのですね。
良きも悪しきも身代は孫、ひ孫に継がれ現れるものらしいです。
 
これら全てが ”黄不動尊”のお導き、お引き合わせだったのだと心得ています。
 
しかしおもろいですなぁ、歳相応に考えも進化してゆくものですね。
ボケ老人も捨てたものではありません。ボケはボケなりに新たな感性で物事を考えるものです。
偉い方の話や出版物を読んでもそれは学問、自分の肌身で感じられたらそれが本物だと言う事です。
 
「老人を大切にせなあきまへんでぇ~~~」
       と、ご先祖は申しております、はい 
ヾ(*´∀`*)ノ
 
 
            ではまたお会い出来る日まで ご機嫌よう!!
 
 
 
 
 
 
 

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国宝黄不動尊と結縁灌頂 [不動明王とルーツ探索と家宝]

辛気臭い台風が過ぎ去って漸く青空が現れ、激暑に後戻り。
 
 
朝、少し涼しかったので、比叡山越えで三井寺に出かけました。
執事長にお会いして、秋の「結縁灌頂 」の申し込みをしてきました。
 
 
 
 
 
 
少しお話させていただいて、先日の
「三井寺秘宝解説」朝日新聞社発行 昭和29、2、1 黄不動の画像
の出てきた話をしてきました。
 
良くご存知で、これは唯一寺から外部に公開された画像だとの事、経緯詳細は不明と言うことでした。
これは正しく本物の画像で、お金を積んでも絶対に手に入らない画像だそうです。
この秋に「結縁灌頂 」でお会い出来る国宝黄不動尊であると教えていただきました。

世の中に沢山の黄不動尊も模作が存在していますが、これが本物である事の見分け方まで教わってきました。
益々、絶対の秘仏の尊像を奉拝出来る喜びを感じます。
 
 
 
ここ数年我が身の周りに起こる諸々の事象に不思議で引き付けられるような
強力な黄不動尊とのご縁を感ぜずには居れません。
 
ご先祖様とお会い出来お話出来る不思議な出会になるような予感がしています。
 
 
 
 
 この冊子がお家にあるって事は当時何方かが何らかの形でお参りされた証拠のようなもので、
極一部に残っているものらしいです。
勿論、お宝である事は違いなく、希少で価値がどの位有るかは定かでない代物と言う事でした。

正夢の世界です。

 

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結縁灌頂 [不動明王とルーツ探索と家宝]

日本男子の平均寿命が80歳を超えたらしいです。
 
 
 
私は何処も直接命に関わる病もなく健康?、
 
間もなく余命5年となる訳ですが、最近こんな事を考えます。
神仏に手を合わす事の意味が若い時とは全く違ってきたと。
 
周りを見ると同年輩の方々が競って神仏にお参りになります。
 
西国だの四国だのと半分は観光気分も有るかと察するのですが、
宝くじが当たりますようにとか良い縁談がとか若い時のお願いとはまた違っていて、
 現世に対してのお願いは余り無いように感じます。
中には現世にまだ未練や悩みをお持ちの方や
未だに生臭い業を望んで居られる方が、
その解決をお願いされてるように見受けます。
 
しかし私のようにもう現世に未練も無く思い残す事も無く
ただお迎えを待つ方のお参りの意味は
だいぶ違うように感じます。
 
誰も知らない来世を見据えて現世より恵まれたいとの願望をこめてお参りされてるように察します。
 
 
 
来世など有る訳もない羽衣霊界を想像して人は無性に足を運ぶのでしょうか。

 
 
 
諸々の煩悩が自然に消滅して逝く時に
 
仏との結縁灌頂が流れのように湧き上がってくるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
昨日、園城寺からご案内を頂ました。
これも仏との絆、ご縁なのでしょうか・・・・・
 
 


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