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爺がアルバムから生き返ってきました! その2 [終活 身辺整理]


爺がアルバムから生き返ってきました! その2



1959年春でしょうか、その1では前途洋々たる若者は
生きる喜びを全身に受け止め、
人生の荒波を漕ぎ出してゆきました。


そして一口に申しますけれど、
まぁ~人生色々、

天まで上り詰め天下盗りしたり、1999年に奈落の底を見たりして
何とか生き延びてきたものの老後はボロボロ人生の始まりです。

2005年、喉頭癌に始まり以後は癌病魔との闘いです。


やっと2006年 人生と言う網走刑務所から出所してまいりやした。
その間 懲役45年ほどで、かくも変貌してしまう生物なのかと・・・・

今は更に18年ほど経過して
既に元に戻らないほどボロボロバラバラに変体してしまい

禿げ頭は人様に見せるザマはおまへん。



終末整理で断捨利ばかり、
出てくる出てくる、
思い出に浸ってたらどないもこないもならんのじゃわ。





片付けの後には、新規事が始まるスタートボタンのはずが・・・

しかし洋々とした未来に漕ぎ出す筈が、今は先が見えない。

目的が無いのだわさ。




家中の我が残骸を処分したら、

其処には”恍惚の人”が有るのみ。

部屋に介護ベットを置いて、
ポータブルオマルと酸素とチューブをさ! 

並べて待つのみ。




人生とはなんぞねん???

今は気力という”力”を無くしてしもうたわさ









先日、息子も帰省して2日ほど飲みながら意見交換なんどしたが、
そらもう わしらの時代の考えじゃおまへん。



時代の経過 変化が、
社会の構成から政治まで全く持って違い過ぎてるのが判る。

生命の価値観がまでも違ってしまってると言うか 
諦めの世界感が支配していて、個人レベルでは選択肢は”死”有るのみ。



我らの時代はまだ時間と言う味方が有って

”石の上にも三年”

とかが有ったが、今はそれさえもない。

1日で世界ネット社会は全てが変わってしまう時代

成功するには膨大な知識と才能、
権力軍力が無い限り今は先は見えないから

”無駄な努力などしない”

って考えが全てを支配してるのだと。





”寄らば大樹”(大樹=悪)って考えがあから様に謳歌してる時代、
正義は糞で、正常は馬鹿なのだわさ。
それが嫌なら死んでまえってのが現代社会なのだ。


人を蹴散らかせて、踏みつけてでも、勝者でなければ勝ち残れない。
嫌なら黙って言う事を聴け!
法に触れないギリギリで騙してでも儲けを確保する事が頭脳ちゅもんだわさ・・ 
っと!





世界最大1000兆円もの借金が有る日本丸が沈没するのは時間の問題、
判ってる奴は、内部留保でしこたま取り込んで、
己だけが生き伸び様と政界その物を支配する構図には、
すでに 聖なる人間 は居ないのである。



だから若者はその構図の組織の中が”一番安定安心安住”なので、
我が息子も同じなのだわ差。

悲しいね・・・・





さて、こんな人生の残骸は捨ててしまった方が良いのかなぁ?
















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爺がアルバムから生き返ってきました! [終活 身辺整理]





昭和34年 19歳 暴走族予備軍

1958年の開通直後
比叡山ドライブウエーを颯爽と 
 


夢見が丘展望台だと思うが、まだ未舗装の砂利だった!


もう直ぐ 傘寿 だ ちゅうのに




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追記
昭和30年代は
雷族 カミナリ族 と言ったそうで・・・はい。







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やっと直ったかな? [終活 身辺整理]




早々と年末の準備で、終活でもありますが、ガラクタ一式、捨て難いお宝も等々処分の決心が付いて焼却炉にお陀仏と相成りました・・・



マイカーにほぼ一杯積み込んで名残惜しい我が人生の遺産を捨てるには後髪を引かれる思いでとても辛い思いをしてきました。
80年近く生きてきた中でこんな思いをする事って無かったようです。







かれこれ60年近くにもなる残骸です。
二十歳の頃のアマ無線機で夜な夜な遊んだHF帯送信機です。
棚に保管されてましたが、ねずみがオシッコを掛けたのか、緑青の錆が広がってます。

本人しか思い出の無い異物 遺物 遺産 胃酸 を残す事の罪を感じ処分いたしました。








なまんだぶつ・・・・・・・







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無常 [終活 身辺整理]

あまぞんで買った
 





届いた




さて 何に使うのか 衝動買いですが。
先日の夜釣りでスミレパパさんにお借りしてたので、至急に欲しくなって・・
多分その気になって、夜釣り用に買ったと思うのだが?


2個ばかり有ったはずなのが、20年も経つと何処に行ったかわからん。
出てきても電池液漏れで使えないはずで、
ましてや豆球ランプでは暗くて今時使えるはずがない。


さて 届いても、さてまた出かけるにしても色々と体調も有って直ぐには・・・

嫁に 何を今更買って って 嫌味言われて・・・・

これは 災害発生時の非常持ち出し用 に、

リュックに入れておくのじゃ! ってバレバレの嘘を言う。




わしが居らんようになっても慌てない様に準備しておいてやるのじゃ~ 
って強がり言って 誤魔化すが・・・・

ほんまに使える日が来るのかな?






平均寿命まで あと2年
同年の知り合いの半分はこの辺で順次お別れなんですが・・

漸く、人生の終着点に来た感じで、色々と終活やってはいるが、
最近は、孤独死とかゴミ屋敷とか読むと
何か特に空しく感じる。



よく夢を見る

それも必ず仕事の夢で、工作機械で マシンのパーツを作ってる夢だ!

沢山の注文が有って請け負ったが、中々準備が出来ないで、パッと目覚める夢ばかりだ。

先月、工場を整理して もう加工する機械工場も無いのに・・・・・

無意識に物凄いストレスになってる事は確かだ



もう現役を離れて15年以上も経つのに、
心の整理もしてやっと手放すと決め 仕事も止めたと決めたのに

 途端にそんな夢ばかりだ。

我武者羅に人生をツッ走しって来て
リーマンショックで人生最大の連鎖倒産食らい

ボロボロになった肉体を眺めながら
やっとその傷から抜け出せたような気がして

来年からは必ず上向きな人生が来ると信じてるからこそ、ここまで頑張れるのだが

突然に 何もかも物凄く空しく感じるのはなぜ?
















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これぞ 断捨離! [終活 身辺整理]



私の本籍地は、安倍晴明を祀る明神社の 一条戻橋 付近で明町でした。

正に時は真珠湾攻撃、開戦し 本土決戦 状況不利にて
強制疎開で立ち退きとなり、東方向 御所の方角に移転したようです。



(背景の建物に注意)


昭和17年頃の私は2~3歳ぐらい。
写真の通りの頭でっかち坊主頭で
姉と撮った生まれて初めての写真
 セピア色した過去でした。

この後、母方の田舎に二人疎開しました。



(画像はネットから無断拝借 ごめん)

疎開立ち退き後は自宅より南が画像のような光景で、今の大通り堀川通りとなった訳です。






あれから75年の歳月が流れ、先日らいの工場廃業閉鎖となった訳です。

明町時代から数えて私は機械屋3代目で、
4代目(息子)は生き様が違って継いでくれませんので、私の代で消滅となりました。


(この画像の外観は75年前と同じです)
このトラックの向こう側300mが 戻り橋です。




先日、機械類の始末を終え、
1週間程掛けて掃除、ライフラインの閉鎖を済ませました。
寂しさよりも無事に自分の遣るべき仕事を全てを終えた事の方が安堵感で一杯です。



16日の日に弁護士の先生に鍵を渡し全てを終了し、

当日夜は名実共に”大文字の送り火”で全てを流し去りました。

実にドラマチックな終焉、壮絶な断捨離でした。




100年ぐらいは経ってる家屋で 崩壊の危険から立替、
立ち退き要求で 契約解除等の金銭和解を先生にお任せする事にしました。



これにて一つ肩の荷が下りた安堵で、
運気はこれからどう変わるかと興味深々、
運命論を信じてる愚か者です。




再度、工場を起こしてやるには、歳が行き過ぎてるような?
でも80歳にて起つって事も有りですから。




まだ捨てた訳では有りませんから、
現自宅のガレージにミニ工場をボチボチと建設?してた訳です。

まだまだ私は遣る事が一杯有って、オチオチとはしてられないので、
癌なんて怖くない訳でして はい!




普通の引越しなら簡単なのですが、
実にさまざまな問題を含んだ移転閉鎖計画なので、心底疲れました。

一応曲がりなりにも名の有る家系ですから夜逃げも出来ず、
分散してた仏壇や神棚の共有共存の問題からや
経験した事が無い難問も 自分なりに考えて
最善を尽くしたつもりなので、
後日祟りがあってもそれは後悔しない事にしました。



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まぁ全てが終わりホット一息、
人生の第一幕全てを終えたような不思議な安堵感をも感じます。


実は既に40歳ぐらいの頃からこの工場を閉鎖し移転したかったのですが、
色々と事情があって、この近くに今の住まいを別途購入しました。

後日にでも曰く因縁の有るこの工場の問題を、異論なければ何時か公開したいと思います。

恐ろしい怨霊壮絶なる話があるので・・・






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遺品整理 [終活 身辺整理]


先日からのガラクタ掃除で出てきた母親の遺品の中から見つけました。






軍事郵便には

”中支那派遣登部隊気付 阿部八部隊本部”

と書かれてる







私の叔父さんから私の姉に届いたものです

先の大戦では叔父さん3名、叔母さん1名が戦死してます。



今更言うまでも無いけれど、時間の経過が全てを消し去ってるように感じます。


その他、日記など色々とありましたが、

時間が有る限り全部読んでみようと思います。

それが供養のような気がして・・・













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激暑 老体 もう あかん! [終活 身辺整理]






8/7~9 自前ワゴンにて 
東北部クリーンセンター ガラクタ ゴミ持ち込み運び 5回!
総計 600kg ¥6500 

汗 1斗缶 1杯
 





家電 金属スクラップ、パソコン 民間持込廃棄 2回

本、雑紙 蛍光管 京都市持込 2回

自宅にお持ち帰り 4回

もうあかん!















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激暑 搬出 終活 [終活 身辺整理]


台風の余波か、激暑の中、搬出です。





長年付き合ってくれた愛用のマシン群の嫁入りです。

重量トラック2台と2tトラック一杯の工場機械群との終活です。

総勢7名の屈強男達が次々と搬出。

半世紀は付き合ってくれたマシンは私の分身、感無量。





何もしないと言っても現場監督の積りでなんやかやと1日付き合ってました。

1日トイレも行かず、全てを汗で流して、絞るタオルから小便が・・・!

癌から開放されたとはいえ傷口は痛む、

外気は40℃近く有るのか?

老体には危険すぎな労働環境。

熱中症 即死してもおかしくない。



風呂浴びビール飲んで、ひと寝入り後、やっと出たのが、真茶の液体。

水分が全部汗で出て、血液ドロドロ状態なのか。

77歳の肉体に激暑は最悪のコンデション、キツ過ぎ、

足腰が痛過ぎ、諤々。


深夜の徘徊時間、朝には早過ぎ。

26℃にセットしたエアコン、止まることもなく微速運転、

外は何度あるにゃら?



やっと今頃にやや持ち直し。

週明けからゴミ捨てに2~3日、やっと終活なのか?



人生最後の力仕事、仕納めです。





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西国三十三所観音霊場 第十四番札所 園城寺 ( 三井寺 )観音堂にて不思議 [終活 身辺整理]



西国三十三所観音霊場 第十四番札所 園城寺 ( 三井寺 )観音堂は
天台寺門宗総本山  本尊:如意輪観世音菩薩 が祀られています。





徘徊も四日目ともなると、気合を入れないと体が言うこと聞きません。

蒸し暑い朝に今日はどうするかを考え、
何か物足りない祈願に、
締め括りは
西国三十三所観音霊場 第十四番札所 園城寺 ( 三井寺 )に出かけて、
祈祷してもらってこようと決め 朝から出かけてみました。




思い立ったら直ぐに行動するのが良いのかどうか、

何をそんなに急いているのかと自分でも思ってる。




この体調不良を乗り切るには行動あるのみ、

医者だけを頼っていてもだめだし、

己の心を鍛え直す事も大切と、

心の修行の為と重い足を動かしてみる事に。






社務所に着いたのが9.45頃、

坊様何方もおいでにならず、

尼さまがお出でになったので、

訳を話すと、

これまた驚きの不思議です。





何という廻り合わせと言うか、
10時から札所観音堂で、
三井寺の縁者の供養法要が始まるので、
今みんなそちらに出計らってるとの事。




「直ぐに観音堂に行きなさい、そしてご先祖供養をなさってきなさい」

との事。





今正に、我が先代長吏の供養がされる直前だったのです。

これ程の偶然と言うか、

ご先祖様がお呼びになったのだとしか、

紛れも無い事実に愕然としました。






30数名ほどの参加が有り、

一番後から飛び込んで、一番前の席に陣取って、


如意輪観世音菩薩さまと向かい合い

9名の坊様の澄み切った読経の法要を1時間ばかり聞いてきました。


(撮影禁止のためネットから拝借)

ご先祖さまのご縁と言う不思議はやっぱ存在するのだと確信しました。

法要終了後、
現 福家長吏さまと20分ばかりのお話時間をいただき感謝です。

本日のお参りの目的を話したら、

さっそく祈願しておいてあげるから安心しなさいとの事。

これで、ご先祖の御加護と、

諸々の悪霊も退散してくれる事だろうと安堵しました。

どうも精神的な落ち込みに嵌っていたような気分で、すっきりした気分です。







帰り掛けに金堂の本尊、弥勒菩薩さまに参拝し朱印を頂いてきました。

(三井寺の本堂、金堂には、本尊として弥勒菩薩(みろくぼさつ)が祀られています。

 「寺門伝記補録」によると、
身丈三寸二分の弥勒菩薩が祀られていることがわかりますが、
絶対の秘仏となっているために誰も見る事ができません。)



これにて、4日間の修行を完成出来ました。



今日も暑い1日でした。

しばらく 一服します。









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京都嵐山大覚寺~♪ [終活 身辺整理]





3日続けて、近場の不動明王さまを探索です。

本日は”京都嵐山大覚寺~♪”でおなじみ、

大覚寺「五大明王像」を拝観に出かけた。





大沢池を望む五大堂 本尊の五大明王像が安置されている。


(撮影禁止でこれもネットから拝借です)

ここの前で写経などが出来る所です。
エアコンが効いていて快適、30分ほど占拠してました。


これらは近年の模刻像で、平安末期につくられたオリジナルの5体は境内の収蔵庫にある。






(本物の画像を見ることが出来ないのでネットから拝借です)


ここも本物には会えないで、金ぴかのレプリカが安置されてる。
拘ってはいけないけれど、やっぱ本物の香りを知りたい。



お決まりの朱印を戴き綴っています。




家内と3日続けての散策で、
足腰は少し歩く事を思い出したような筋肉君です。



こんな画像を載せるとまさに ”田舎もん” ”おのぼりさん” のようですね!








軽いつっぱりは有るけれど快い疲れで、
回復の為のリハビリだと考えてがんばって歩いてみた。


五大堂の横に舞台が有り、
30度を超える真夏の太陽がギラギラですが、
大沢池を這う風が快いです。





このままシンドイと歩かないでいたら、
正しく寝たきりの入り口に立つ事になりそうで恐怖です。

もう最後の徘徊になりそうな散策のようで、冥土の土産の見納めとしっかと脳裏に。




元気復活を祈願してきましたから少しは元気が出てきたようです。

近場のお不動さまも青蓮院と東寺を残すぐらいで、後は他府県に入ってゆきます。

気候と体調を考えながら一杯、不動さまと出会えたらと。



はるか遠くの朱色の橋がある辺りまで、ブラブラと散策して徘徊 のたまってました。

77年も京都に住んでいて、こんなにのんびりと 来たのは初めてです。

心境の変化が手に取るように判るのが。。。

ジンと来ますね 

















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