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昭和は過去7 儚い夢 その2 雪の比良 [昭和回顧録]

       1963年 自己満の世界、    
    
     世は 春日八郎 「長崎の女」♪      

 23歳 我が青春 ど真ん中、            

命知らず怖いもの知らず、向こう見ず ド阿呆男の青春回顧です。





ロープが腐食、触ると切れそう!

こんなもん
履いて・・ よう残し取ったもんじゃわ


雪の南比良縦走路 蓬莱山目指して 
23歳 馬鹿が1人行きます




コメント  つたない自筆の原文ですので、書き直してます。ご笑納を


1964.2.23 雪の蓬莱山へ
1964.2.23.日曜日 今年初の山登り。         
昨年は5月初めて比良に入る あの時もほんの少し
残雪があったようだ。今年で比良山に入るのは    
4年目だ。しかし雪のある比良は初めて、おまけに 
独りの山行きも初めてだ。なぜこんなにまで       
山に入りたいのか自分でもはっきりせない。        

AM5.30、まだ暗い内に起きる。外は雪がドンドン
降っている。                                          
出町柳よりバスで一路花折峠へ、まだ雪は降り続いて
いる。花折峠で7~8名の山男がおり2パーテー
程だったろう。元気に出発した。自分も独りだけど
元気をだして歩きだす。8.50                    

花折峠からアラキ峠までもくもくと1時間以上歩き続ける。
雪はひざまで程ある。先に行ったパーテーの足あとをおい
続けた。アラキ峠から権現山までぶっ飛し、小休止。
カメラのシャッターを切る。                          



小女郎小屋に着いたのが12時、この峠はほんとにきびしい。
体がおしたおされそうな飛雪が顔にあたりいたい。
手は赤くふくれ上がり感覚はほとんどない。      
足も同じくもうしびれてしまっている 又しもやけ
になるだろうと心配になる。                      

とにかく小屋で休む。10名程こやの中はいっぱい
だ、にぎりを食いながら温ったかいスープを口    
にしたらほっと一息つく、小屋の外は合い変ず    
吹雪の様だ、トタン張りの屋根がガタ云う、すき間から
粉雪が入りこむ。携燃の小さな一火だけが温た  
かい。 1時間程休んで 小屋を出る。            

もう蓬莱山までもうすこしだ。真白に雪におお
われた女性的なスロープ。めざすはもうすぐ
だ、腹がふくれた所でシャッターを切る 後は
蓬莱山、もう一山向うだ。                      








とうとう 着いた。何度か来たこの山頂 でも
今日の喜びは又格別だ PM2.30
          





コンピラ道へ あの峠がコンピラ峠らしいなぁ
地図とにらめっこ中                           


コンピラ峠 木戸へおりようか、それとも
蓬莱駅へ行くか、少々考え小休止      
相変らず落書は多い、でも落書き見るのも又楽しい

このあたりから伊吹や霊仙、御在所が実にきれいだ。
蓬莱駅へドンドン下る。もう琵琶湖も近く感じる。      


後、1時間も歩けば、今日の予定は完了、フイルムも最後だし
一枚シャッターを切る。まだ元気がある様だ。だいぶあつくなり
キルティングもぬぐ、さっそうと下山。                           

今日一日 ほんとうに楽しかった。又来るまでお別れだ。
ちらほら人家が見えてきた、又いやな町の音が           
聞こえてくる。やっぱり山はいいなあ 一人で            
しみじみ山を感じ ほんとに山の好きな人が            
なぜ行くのかがわかる様な気がする。                   

すみきった空気をいっぱいすって                     
もう小鳥が潅木の間を飛びまわってる。 PM 4.20




権現山  アラキ峠  ホッケ山  小女郎峠  蓬莱山頂へ




蓬莱山に別れ、一路下山に移る コンピラ道より 

この尾根つたい よく歩いたものだ われながら感心する。


---------------------

ここまでが、アルバムからの人間スキャナーで引っ張り出したもので、
行程全部で白黒画像が35枚、36枚撮り 内幾つかをUPしました。     
つたない自筆で、読み難いから頑張って書き写しました。すんません。


セピア色したつたないアルバムも
今見返ると なんとも言いようの無い お宝です。

写真だけでなく、コメント書いてるのが その時の我に戻れて感激もの。




現在の蓬莱山の全景画像が無いので参考に無断でお借りしてきました。



参考画像 Google雪の蓬莱山
https://www.google.co.jp/search?q=%E9%9B%AA%E3%81%AE%E8%93%AC%E8%8E%B1%E5%B1%B1&client=firefox-b&dcr=0&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjtuoP46eDYAhUMU7wKHY9AC_MQ_AUICygC&biw=1334&bih=916#imgrc=uwdn-o446LO7dM:




この雪の比良を描いてると、色んな事を感じます。
23歳、もう55年も前の忘れかけてた記憶が目の前にドバァ~と
甦ってきて 昨日のような錯覚に嵌った。


脳味噌の何処かにメモリーされてた記憶が刺激すると
ナンボでも紐解けるって事は、人間って素晴らしいね。


没したらこれらの写真も記録もなんもかもが、
処分されてしまうなんて考えたら眠れないよね。
これこそ人は何の為にだ!
肉体は没しても、霊は浮遊して生きていたい。






何の役にもたたんブログを描いて、
自己満足の世界である事は確かなのだが、
描いてみて何かそれ以上の何かが有るように思えてならん。


生き恥を掻いても何とも思わん様になってもた脳味噌だけど、
意外と老後って「生き様によってはおもろい」のかも知れん。



”会社では部長までやった とか 公務員なら局長まで”だとか、
同窓会なんかに行ってもカッコ付けた言葉や文章なんかを読むと
なんか無理してるなぁ~なんて・・・・、失礼しました。




引退したら只の人、何があんたに残ってるねん? 
金かぁ~ 地位かぁ~ って聞きたい悪意ある性分の爺じいなんだねぇ~!
”第2の人生謳歌”なんちゃ言っちゃって気の毒なお方としか聞こえねぇよ


まぁ~技術系のサラリーマンは所詮、上司命令なんて馬鹿にしてて、聞く耳持たんのじゃわ。
周りにいた技術者はおおかた早くに独立してるよね。全部とはイワンが・・・・・






山歩きの半分ぐらいは単独行動でした。
この頃からどうやら自己責任で物事を判断する訓練をやってたみたいですね。
今なら馬鹿扱いの批判の嵐の行動なんだけど、
当時の己にはそうは思わなかった元気と自信が有ったのだろうと思う。

一つ天気が急変してたら、こんな軽装備、冬山独りの行動なんて いちころで凍死直結ですは!
”命知らず、怖いもの知らず、向こう見ず”なんて云われるわなぁ。
まぁ悪運強く生き延びてるけど

ほんま ”ハチのムサシは 向こう見ず~♪~~~” ですね。
強運とでも云うのかな?


25歳で自営独立し機械メーカーとして60歳まで
死なんとようやってきたのも、
全部この頃の自己責任で何でもやる訓練が多いに役に立ってるのではと。
どんな苦境も乗り越えてきた”我が人生に悔い無し”の原点なのかも知れないね。


何が言いたいかって! 要は山が好きで、
この間に人格が出来てきたと言いたいだけ。


昔のコメントの書き方と 今のコメントを見ると同一人物だってよく判る。
なんも進化してないって事も判るから おもろいね。






参考画像 Google雪の蓬莱山の写真 の今昔を見比べて見ると、
景色は変わらないけれど装備なんかは違いすぎる。

今はそれが当たり前の冬山重装備であるが、
当時はキルティングと言っても中は綿が入ってて 
濡れると物凄く重たくなる優れもの?で、
ゲートルみたいなもんは、母が編んでくれた毛糸の靴下のデカイものです。
今みたいに何でもゴアテックスなんて無かったよね。
ナイロン合羽ぐらいが雨具で手袋も綿入りの2本指のやつでした。

ワカンも木製、今みたいな金属や硬質樹脂のようなもんも無かったし、
第一紐が麻紐でっせ。

勿論スマホも無いし、地図バックに羅針盤ぶら下げて・・・・
ほんまおもろいカッコで登ってたもんだわ。


このシリーズ後、区切りが付いたら、今度は自営業自分史を載せる予定です。
リーマンショックでわが社も連鎖食らい、”フーテンの寅”をやってる時の
ホームページを再度UPしようと思ってます。

ご静聴ありがとさんです。




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コメント 17

ジロ

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初の単独行が雪の南比良とは、恐れ入りました。
丹念な山行記を作っておられた点にもほとほと感心しました。また行間からほとばしるような若さが感じられ、胸が熱くなるような思いもしました。
小生も常に単独行でしたが、冬山の経験皆無という軟弱さ。それに登れば登りっぱなしで、記録も残しておりません。回帰すべき原点が極めて曖昧模糊としているような気がしてなりません。山行きの具体的な記憶を辿る材料のないことを後悔する羽目になるとは、当時は思いもしませんでした。
小生にとって、山は、日頃の鬱屈を捨てる'マネ'をしに行く場所、いわば駆け込み寺のような存在だったような気がします。50歳ごろから親しんだ京都北山をお山の病院と称していました。このように、小生の山歩きの契機は実に消極的なものでした。
ブログを拝見するたびにユニークかつ強烈な個性をお持ちだなと思うのですが、貴兄の原点の一つが、小生がほぼ同時期に向き合ったあの比良山にあったのだと感じさせられました。
by ジロ (2018-01-19 09:28) 

ボロ爺

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> ジロさん
どうも感想コメントありがとうございます。
初の単独行はいつもの事で、偶々こんな2月の「冬山に行きたい人!」って誰も手が上がらなかったからです。
仲間は寒いのが苦手なのかな。単独行の方が面白い事が色々あって緊張して行動できたからではないかな?

私の山行きだって逃避行みたいな気分転換などでそんな立派な考えなんて無かったですよ。
”北山を病院”でしたか!それはちょっと酷いですね。木場道が懐かしいです。

同期の頃の方のようで懐かしいです。
話は変わりますが、ここに記されてるコメントが、全部万年筆で書かれてます。
何でもペンで書くのが普通だったように思います。
日記を見てもです。偶々成人式で貰った万年筆を大事に使ってましたね。
サラサラ書けたので気に入ってました。今はどっかにいったかな?
お母様も大変な思いで介護されてるご様子。
今更親孝行でも無いですが、大事にしてあげてください。

またお話よろしくです。
by ボロ爺 (2018-01-19 15:39) 

ha2*5*ru

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よう記録を残しているし、記憶に残っているのは、感心します。
比良は、単独と、K君と一緒が多かったですね。
三条京阪からの京都バス、葛川梅木行き、お世話になりました。
今やから言いますが、H氏から、株主優待券を貰い、只で長い間乗っていました。
帰りは、あなたのいう「江若鉄道」のお世話になっていました。
一度、けもの道に紛れ込んで、最終電車(本当は気動車)に乗り遅れそうになったことを覚えています。
花折峠、今は、トンネルができて緩やかな道になりましたが、昔はきつい坂でしたね。
私は、貫井谷から入るのが、多かったです。

社内に、RFCというクラブがあり、覚えている言葉に「カロリーよりも、腹いっぱい食わせろ」とS氏。

ワカン(和かんじき)これは、長くありましたよ。ザックの両脇に挟んで、歩いたものです。

今の比良山は、簡単に上れますし、きれいなお花畑になっていますね。

青春とは・・・
ありがとう。
by ha2*5*ru (2018-01-19 18:10) 

ボロ爺

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> ha2*5*ruさん
今晩は。思い出してるのですがご一緒した記憶がどうしても出てきません。
ドラエモンが寝てるのかな?やっぱ写真が有ると記憶は辿れますね。脳を呼び出せるのかも知れないです。
貫井谷は、出発直後から一気に急勾配を上るとこでしたね?何人か大勢で登った景色が少し記憶に出てきてますが、薄いですね。あそこは無茶苦茶しんどかった事ぐらいしか出てきません。
武奈ヶ岳山頂で皆でわいわいやってた景色は浮かんできます。あなたの勇壮?もですよ。
K君って御室の彼かな?どうしてるのか。一時ハングライダーに嵌ってたような話は聞いたが?
もう1人のK君はヨットを手に入れて琵琶湖で遊んでるって話は聞いたがその後消息不明なり。

一杯思いでが有ってどう整理したもんやらわからん・・・・
やっぱみんなこの世に置いてゆかなあかんのかなぁ~

春になったらどっか出かけるかぁ~
青春見つけに<img src="https://s.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/013.png">
by ボロ爺 (2018-01-20 04:40) 

ボロ爺

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&gt; ha2*5*ruさん
思い出した!京都バスのボンネットバスが花折れ峠のガタガタ急勾配でエンストして、一生懸命エンジン掛け取った事思い出した!<img src="https://s.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/013.png">
by ボロ爺 (2018-01-20 04:47) 

ジロ

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&gt; ボロ爺さん

せっかくの山で解放された気分になるには、単独行しかありませんね。

木馬道を歩いたのは、わたしたちが最後の世代でしょうね。木馬道が消え、かつての細い道が広い林道として整備されているところがだんだん増えて、北山らしさが随分失われてしまいました。ただ、車で入り込めるようになったことを、堕落したなと自嘲しつつ喜ぶ自分を容認する歳になってしまいました。

万年筆で書かれた文面が、いかにも時代を感じさせ、懐かしさを倍化させてくれるように思いました。今では、インクやカートリッジ、空になったカートリッジにインクを入れるスポイトも容易に入手できなくなってしまいましたが、それでも使えなくなった万年筆を捨てる気にはなれません。

20年ほど前、花折峠への旧道を自転車を押しながら上ったことがあります。バス1台がやっと通れるような狭い道幅で、かなり危なっかしいところもあったのに今更ながら驚かされました。峠の天辺の雰囲気がなにやら観光地めいて感じられたのが寂しく感じられました。

そう言えば、比良や北山を歩くとき、周りにいる登山者はほとんど同世代の人ばかりでしたね。
by ジロ (2018-01-20 15:47) 

ボロ爺

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&gt; ジロさん
思い出してると京都駅に国労に勤労者山岳会ってのが有って参加してました。
蒸気機関車の運転手のおっさんの休憩所みたいなとこで、オルグのおっさんが頑張って仕切ってましたね!

今は木馬道も無くなってるのですか!あの風情ある丸太道、合理化優先の時代ですね。
記憶もまばら、夜鳴き峠って有りましたね。ネットで見ると木場道ではないですね。
そこいら辺をウロウロしてた事位しか記憶なしです。

旧花折峠の景色はネットで見るとおぼろげに記憶が甦ります。
そうそうここで下車して歩き出したのでした。
昔はこんなレジャーしか無かったのかもです。
by ボロ爺 (2018-01-21 15:54) 

S260425

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比良山系といえども冬山の厳しさは北アルプスと同様です。雪崩や滑落、ホワイトアウトに会わず、写真のような軽装でよくぞ単独行で無事下山されました。人生運がいいみたいですね。運がいいから、ボロ爺さんの人生はいい人生だったんです。人生に成功したんですよ。<img src="https://s.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/044.png"><img src="https://s.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_a820.gif">
by S260425 (2018-01-21 22:50) 

ジロ

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&gt; ボロ爺さん
いかにも景気よさそうな山岳会ですね。蒸気機関車の運転士とお近づきでいらっしゃったとは羨ましいです。蒸気機関車が消えた後、京都駅の陸橋の壁に煙の跡が長らく残っていたのを覚えています。
木馬道は、&#039;60年代にはもう使われていなかったと思います。大原・鞍馬・貴船の周りにかなりあったという記憶がありますが、どこにあったのか、残念ながらさっぱり思い出せません。夜泣峠は、午後から出かけても山歩きの気分を味わえる近場でしたね。特に大岩へ下る栗夜叉谷へのコースが手軽でお気に入りでした。このあたりに木馬道があったとしてもおかしくないと思いますが、残骸さえ見たことはありませんでした。峠にはオオムラサキがいると聞いて捕虫網を持って行ったりしましたが、姿を見ることさえできませんでした。惟喬親王の伝説の跡を追ったこともありました。二ノ瀬ユリの苔むした道も懐かしいです。
繰り言のような長文失礼いたしました。
by ジロ (2018-01-21 23:28) 

ボロ爺

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&gt; ジロさん
話変りますが私のようなガサツな人間と何処かが違うと感じてました、失礼しました。
ブログを拝見していて教職の方とお見かけしました。

私は先生ってのが嫌いになった訳があったのです。
私の置かれてる極悪家庭環境をも理解せず、崩壊寸前の家庭を守る為に寝ずに頑張って働き、宿題が出来なかった事を認めず”赤1”を付けました。
過去にそんな評価をもたっら経験などなく、何時も優等生の積もりでした。

人間の遣る事、教職だって人の子ですね。高2の禿げの国語の定年前の男、凄く軽蔑しました。
今思えば、相対評価で何人かが餌食になる運命に有った訳で、運が無かったのですね。
以後ガリ勉は止め、好きな事だけに熱中するようになった経緯があります。

大学受験も願い適わず辛い思いもしましたが、結果が良かったら良しで反骨精神だけは負けた事がないのが自慢です。
山歩きも単独行動も仕事に対する挑戦する心も、このアホな先生から教えてもらったようなものです。

まぁ考え様かも知れません。感謝せなあかんのかもですね。
by ボロ爺 (2018-01-22 22:05) 

ボロ爺

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つづき
長い時間が記憶を消し去り良かった事のみが残る余生です。時々思い出して昔は良かったって言ってやりましょう。
<img src="https://s.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/013.png">
by ボロ爺 (2018-01-22 22:07) 

ボロ爺

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&gt; S260425さん
そうなんです!運がええちゅう事にしておきましょう!
更には、その訳も有るちゅう事もですぞ!

人には大事な物が有るちゅう事は最近やっと教えてもらったんです。

明治元年から今年は150年目らしいです。
その内の半分は知ってる訳でして、知りうるご先祖さまはその前の75年ぐらいです。
伸ばすと2人分ぐらいの人生なんですね。
この間に、運が付く事象が有ったって事ですね。人の命って短いです。

ウンは楽しいですよ、絶対に宝くじは当たりませんが・・・・
<img src="https://s.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/013.png"><img src="https://s.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/094.png">
by ボロ爺 (2018-01-22 22:19) 

ジロ

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&gt; ボロ爺さん
自分の素の姿をさらけ出して行くのが楽ですから、そうしているつもりですが、できるだけ筋道だった文章を書こうとする意識が抜けませんね。主な仕事が、文章作りだったことが、影響しているのかも知れません。ただ、ヘルメットをかぶっていた時期もあります。骨折したこともありますが、仕事自体は非常に楽しくやっていました。
教職関係に関わった経験はありません。そういう印象を持たれていたとは意外でした。
ただ、亡父は教師でした。それも、貴兄の最も嫌われていた国語教師。真面目一方の平凡な男でしたが、生徒思いの教師らしい教師だったと思っています。息子の小生がこう言っては気が引けるのですが。
教師というものを見ると実に様々なタイプがありましたね。一人の人として尊敬に値しない教師も確かにいました。
by ジロ (2018-01-24 01:12) 

ジロ

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(つづき)
教師に限らず、どんな職業でも、またいつの時代でも、規則や先例に従うことにばかり汲々として本来の目的をないがしろにする、融通の利かない人種がいますね。相対評価という枠組みを形式的に当てはめてひどい評価を下し、育つべき芽を摘んでしまうとは、人を育てるべき教師の本分にもとる仕業だと思います。運が悪かったという一言では片づけられない。
貴兄も同趣旨のことを述べていらっしゃいましたが、人の価値は、肩書や地位、収入、学歴や職歴などについてなされる世間的評価を省いた素の人間性によって定まると思っています。
その点、ブログからうかがえる貴兄の生き方は実に堂々たるものだと拝察しております。とくに貴兄の闘病の姿勢の壮絶さに関心を持っています。小生も、自分の生く末を思い、生死の問題を考えざるを得なくなったからです。
どうか、くれぐれもご自愛ください。
また、次のシリーズも楽しみにしております。
by ジロ (2018-01-24 01:13) 

ボロ爺

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&gt; ジロさん
やっぱりそうでしたか!文章が大変お上手なので、文系語学だろうと踏んでました。小説家?かな。
国語の先生には罪はなく、私が持たされてる因果が悪いのです。
先祖に誰か悪いのが居ってそれが未だに反省してないから、現世に知らしめてるのだと理解するようになりました。
ジロさん、なんか生死の問題とは穏やかならぬ事を!
お母様の事なら誰もが経験する跡継ぎのする事?(経験しない方も半数以上は居られますが)なので、共通な悩みですが、普通だと思います。
私の親父なんか、そらもう~散々迷惑掛け捲りで負の遺産だらけで97歳でしたよ。後始末係のような・・・
でも恨むなって言われる事が、未だに実行出来ずにいますのが、それが色々と災いを引き起こしてるようです。
怖いですね、先祖供養はどうも良い思い出がないので・・・・
せめてもの反逆に、母親には院号を、父親には只の釈にする事で憂さ晴らすぐらいしか・・・・

景気の良い時に勧められて私は院号を頂いておきました。
お墓に掘る法名もあるので、それで中々お呼びが掛からないのではと思ってます。
それが病に対する姿勢なのかも知れません。
by ボロ爺 (2018-01-24 10:46) 

ジロ

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&gt; ボロ爺さん
ただの文書屋でした。小説は昔はよく読んでいましたが。

病に対する姿勢に「因果応報」を反映させておられるのにびっくりしました。
by ジロ (2018-01-25 11:35) 

ボロ爺

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&gt; ジロさん
自業自得です。ボケ始めとはいえ親の尻拭きに代官所までお迎えに行くとは思いもせんかったです。
人生って考えるととてもおもしろいものと・・・
by ボロ爺 (2018-01-25 13:01) 

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